ES供養

「就活について書け」という声を多少なりとも貰っていたので、手始めに(というより単純に僕が楽なので)僕が実際に提出したESたちを供養します。社会人になってから就活のことを喋ってるのは多分ダサいので、頑張って学生でいるうちに投稿したいです。

 

参考になる所はほぼないと思います。

ただ、ワンキャリアや外資就活等に投稿されているES達は投稿主の人物像や背景が分からないので、そういった意味では、僕のことを少しでも知る皆さんにとって、1ミリくらいはネットの海に転がるESよりは参考になるかもしれません。なってほしいです。

400字程度のコンパクトサイズにまとまった読み物だと思って読んであげてください。

(めちゃめちゃ盛ってる所が沢山なので、「こいつめっちゃ嘘つくやんw」とツッコミながら読む楽しみ方もオススメです)

あと、ちゃんと通過してるES達なので安心してください。

 

僕は大した"ガクチカ"や"経験"が無かったので、恐らくどの業界のESでもほとんど同じ題材で書いています。(クソ雑魚な大学生活だったので、高校時代の経験まで引っ張り出してます。)

しかしながら、同じ題材でも業界によってなんとなくアピールポイントや見せ方を変えていると思います。そこから「当該業界で求められる(と僕が考えた)スキル・人物像」などを読み解くこともできるかもしれません。その作業は優秀な皆さんにお任せします。

 

 

【日系証券IBD

△△証券投資銀行部門に入社を志望する理由及び最も関心のある業務を「これまでの経験」や「目指すキャリア像」を踏まえ、教えてください。(400字)

 私は「財務のスペシャリストとして企業の成長を支援する」という目標を実現するため、投資銀行部門のカバレッジ業務を志望する。

 私は、父の経営する会社が倒産した経験から、幼少期より経営に興味を持っていた。大学では商法ゼミに入り企業買収を研究する中で、企業価値の向上には財務戦略が欠かせないことを学んだ。現在は、経営における意思決定に財務面から携わりたいと考えている。投資銀行部門では、専門性を培いながら顧客の成長のために尽力できる点で、目標達成に最適な環境であると考えている。その中でも、カバレッジ業務を志望している。私は長期インターンシップの経験から、物事の成功には信頼関係の構築が重要であることを学んだ。そのため、他部署と協働しながら顧客との関係を構築していく同業務に大きなやりがいを見出せると考えている。若くから新領域を開拓することが可能な貴社において、パートナーとして信頼されるカバレッジになりたい。
 
・これまでの人生で、あなたが特に頑張って取り組んだことと、それによってあなたが得た成果を教えてください。また、その際、あなたが周囲の方とどのように協力し、どのような役割を果たしたのかについても併せて教えてください。(400字)

 フィリピン政府観光省での長期インターンシップにおいて、法人営業として尽力し、海外企業からの協賛を獲得した経験がある。

 イベント出展に際して必要となった企業協賛を得るための営業活動に注力した。当初は、商慣習の違いや現地の観光産業における日本市場のプレゼンスの低さから、交渉は難航した。

 これらの課題に対して、私は1:相手企業との信頼関係の構築と、2:論理性のある提案の二点が重要であると考え、以下の行動を起こした。まず、フィリピン人スタッフに教えを請うことで、観光やフィリピンの経済・政策・商慣習など広く知識の習得に努めた。そこで得た情報を基に、1:フィリピン人の国民性を踏まえた接し方を心がけると共に、2:経済面からの分析を行い、数的根拠に基づく提案活動に努めた。

 以上2点のアプローチによって28社中3社からの協賛を獲得し、契約締結の際には「君だからお願いしよう」というお言葉を頂けた。
 
・あなたの「10年後のなりたい姿」について教えてください。(300字)

 「ファーストコールを頂けるカバレッジバンカー」を目指している。そのためには、今後の十年間で信頼に足る実力と知見を積み重ねる必要があると考える。

 若手の期間は、主体的かつ正確に実務を担っていくことで、実力・実績を積み重ねていきたい。同時に、シニアバンカーの方々が如何にして顧客との関係を構築しているのかを直に学んでいきたい。また、日々自己研鑽に取り組み、プロダクトの知識のみならず業界や顧客への知見を培うことで、社内外でのディスカッションの場で自身のビューを求められる存在となりたい。そして十年後には、自身が顧客のカウンターパートとなり、ファーストコールバンカーという目標を現実的なものにしていたい。
 
・自己PR(300字)
 私の長所は「必要な努力を考え、粘り強く継続できる力」と「調整力」である。

 前者は、海外政府観光省における長期インターンシップでの経験に基づいている。日本人は私のみという職場環境ながら、当初は私の語学力が至らず意思疎通が図れなかった。しかし、弛まぬ自己研鑽と積極的なコミュニケーションによって語学力を向上させ、1年間の勤務をやり通した。

 後者は、高校時代の部活動で主将を務めた経験に基づいている。所属していた剣道部では、師範・顧問・部員の三者間で稽古方針について対立が生じていた。私は対話を重ねることで各々の感情や利害を把握し、その上で主将としての意見を述べ、最終的に皆の納得できる方針を策定した。

 

 

外資投資銀行IBD

・自己PRなどをご記入ください。英語で書くことを推奨します。*改行不可(日600字、英150words)

I can contribute to the success of〈社名〉 because I have coordination skills and can be tenacious in my efforts. The former is based on my experience as the captain of the kendo club in high school, where I acted as a bridge between the grand master, teacher, and club members. After understanding the feelings and interests of each member, I expressed my own opinion. In the end, I was able to set a policy that everyone could agree on. The latter is based on my internship experience at the Department of Tourism of the Philippines. Initially, I was not able to be useful due to my lack of industry knowledge. Therefore, I studied finance on my own and analyzed tourism from an economic perspective. As a result, I was able to gain the trust of co-workers. With these skills, I can contribute to the success of 〈社名〉.
 
 ・応募部門を志望する理由をご記入ください。*改行不可(600字)

 (1)私の「財務のスペシャリストとして企業の経営を支援する」という目標を叶えられる環境、(2)チームワークを重視し個性を最大限発揮できる社風の二点に魅了され、貴社を志望する。

 (1)私は、父の経営する会社が倒産した経験から、幼少期より「経営」に興味を持っていた。その後、大学で商法ゼミに入り企業買収を学ぶ中で、企業価値の向上には財務戦略が欠かせないことを学んだ。現在は、経営における意思決定に財務面から携わりたいと考えている。投資銀行部門では自身の専門性を培いながら顧客の成長のために尽力できる点で、目標達成に最適な環境であると考えている。

 (2)私は、部活動や学生団体でリーダーを務めた経験から、仲間と目標達成に向けて協働する楽しさとやりがいを知った。また、フィリピン政府観光省でのインターンシップでは、他者との信頼関係の構築がビジネスの成功に繋がることを経験した。これらの経験から、「チームでの結束」と「信頼関係の構築」が成功に繋がる仕事に魅力を感じる。そのような点において、多くのステークホルダーが絡み、綿密なチームワークが要求される一方で、顧客との信頼関係の構築が成功の鍵である投資銀行部門こそ、私の求める環境である。その中でも貴社は、あらゆる面においてチームワークを重要視しており、顧客第一の理念の下、国内外において他の追随を許さぬ実績を築いており、貴社の一員として活躍したいと強く感じる。
 
 
・就職先を決める際のポイントを教えてください。

 「(1)経営の意思決定に携われる、(2)“人”が活きる」の二点が充たされる環境であることを重視している。

 (1)自身の経験から、「経営」は人の生活ひいては社会を変革する力を持っていると学んだ。父の経営する会社が倒産して以降、家族も、私自身も多大な苦労をしてきたと思い返せる。この経験から、「私と同じ境遇の人々をより多く救いたい」という強い思いがある。そのような中では、私にとって、企業の成長を支援することは、先の目標を実現することと同義である。

 (2)私は、フィリピン政府観光省でのインターンシップ経験等を通して、正解の無い状況でも「必要な努力を考え、やり抜く姿勢」を培ってきた。この強みを活かせる環境に身を置きたい。そのような中で、投資銀行では、DXによる機械への仕事の代替によって、作業的業務に充てる時間の圧縮が見込める。そして、正解のない問題の解決支援など、本質的な業務に集中することが可能になると考えられる。その結果、高い人間力の必要性は従来以上に高まると考えている。

 

【総合商社】

・あなたの将来の夢や目標は何ですか。その上で△△(社名)を志望する理由は何ですか。(150-300字)

 誰もが平等に挑戦の機会を得られる豊かな社会経済を実現することだ。

 進学を機に地方から都市部へ移り、所得や教育における地域格差を実感した。フィリピン政府観光省での勤務を経て、この問題は日本のみならず世界中に広く存在すると感じた。このような、環境要因が個人の選択肢を狭め挑戦の機会を奪う現状を解決したい。

 この問題を真に解決するには、都市部や先進国の富を地方に分配することではなく、地方部も含めた国家全体の競争力を高める必要があると考えている。そのため、世界に強固なネットワークを持ち、多様なステークホルダーを巻き込む影響力を有する貴社において、ビジネスを創出し続けることで、豊かな社会の実現に尽力したい。
 
・今まであなたがエネルギーを注いで取り組んだことの中で、障害や壁を乗り越えた経験について教えてください。(150-300字)

 フィリピン政府観光省での長期インターンシップ経験である。イベント出展に係る企業協賛の獲得を目的として、フィリピン企業への法人営業に尽力した。当初は、商慣習の違いや現地の観光産業における日本市場のプレゼンスの低さから、交渉は難航した。そのような中で、交渉の成功には1:相手企業との信頼関係の構築と、2:論理性のある提案の二点が重要であると考えた。その上で、1:フィリピン人の国民性を踏まえた接し方を心がけると共に、2:経済面からの分析を行い、数的根拠に基づく提案活動に努めた。以上のアプローチによって28社中3社からの協賛を獲得し、契約締結の際には「君だからお願いしよう」というお言葉を頂けた。
 
・あなたを一言で表してください。(15字)
服を着て歩くハングリー精神
 
・その理由を教えてください。(50字)
裕福とは言えない環境で生まれ育ち、何事にも自己責任の精神と泥臭い努力によって道を切り拓いてきたため。
 

外資系総合コンサル】

コンサルティング業界を志望する理由を教えてください。(400字)

 私の「企業の経営を支援し、最大多数の幸福を実現したい」という夢を叶えられる環境であると考え、コンサルティング業界を志望する。

 私は、幼少期に父の経営する会社が倒産し、裕福とは言えない環境で育つ中で、人の生活ひいては社会全体に大きな影響を与える「経営」というものに一貫して興味を持ってきた。私にとっては、企業の経営を支援し、成長に貢献することは、父のような屈辱、母のような苦労、自身のような苦悩を感じる人々を救うことと同義であり、幸福で充実した社会経済の実現に寄与するものだと確信している。

 そのような中で、幅広い業界のビジネスに一気通貫して携わり、包括的なソリューションを提供できるコンサルティング業界こそ、目標達成に最適な場であると考えている。

 その中でも、顧客に対して戦略のみならず業務改善からITシステム導入まで、「実行力」によって価値を提供する総合コンサルティングファームに魅力を感じている。
 
・△△コンサルティングを志望する理由をご記入ください。(400字)

 二つの理由から貴社を志望する。

 まず一点目は、少数精鋭の組織体制だ。多くのコンサルティングファームでは数百人規模で採用を行い規模拡大に注力している一方で、貴社は数十人単位に留めた少数採用を行っており、入社後の育成環境は他社と比較して優れていると考えられる。成長を追い求める私は、チャレンジングな環境でこそ楽しさとやりがいを感じながら働けるため、非常に魅力的だと感じている。

 二点目は、グローバルネットワークを有している点だ。世界に拠点を持つ貴社では、様々な課題に対して国を越えた協力体制を構築し、よりクライアントに寄り添った提案が可能だ。私は海外政府観光省での長期インターンシップにおいて、多様な価値観を持つ人々が一つの目標に向けて協力する時こそより良いアウトプットが得られるという学びを得た。その上で、世界とのネットワークを有する貴社であれば、より顧客第一の提案ができると考えられ、魅力を感じている。
 
・自己PRを自由にご記入ください(何かご自身でやり遂げた経験を具体的に記入してください)。(400字)

 中古教科書販売を行う学生団体での経験で得た課題発見力を活用し、貴社に貢献できると考える。

 私が代表に就任した直後、1:コロナ禍における対面販売での売上低下、2:教科書の回収・保管費用による会計圧迫という2つの課題に直面した。これを受けて、財務指標を収益性と生産性の各要素に分解・分析した結果、1に対し、高い認知度に対する来店率の低さ、2に対し、大量の不良在庫からなる在庫回転率の悪さを発見した。

 これらに対する施策として、1:全面郵送販売を実施し、購入のハードルを下げ新規顧客層の獲得を実現し、2:回収する教科書の限定によって、回収コスト及び不良在庫の削減に成功した。

 その結果、過去最高となる15万円の利益を達成した。コンサルタントは顧客の課題を発見する力と、コミットして解決する力が求められると解している。今後も継続的な努力によって強みを伸ばし、最適な提案ができるコンサルタントとして活躍したい。

 

小論文
1. あなたが現在関心のある日本企業を1社選択せよ。
SGホールディングス株式会社
 
2. 「今後3年間の成長に向けた最重要戦略」に挙げられている成長手法の中から、1で選択した企業が最優先で取り組むべきと考える成長手法を1つ選択し、今後3年間の成長戦略を検討し、できる限り具体的に説明せよ。その際、当該企業の現在の状況を整理し、なぜその手法が最優先事項となるのかについても必ず付言すること。

  SGホールディングスが最優先で取り組むべき成長手法として、M&Aを選択する。今後3年間の成長戦略として、ロジスティクス事業を強化して総合物流企業を目指す上で、最も有効な成長手法であると考えるためである。
 同社は、デリバリー事業を中心として、ロジスティクス事業や不動産事業等も展開する物流企業である。物流加工から仕分け・輸送といった複数の物流工程を同一拠点で行えるインフラを有し、「ラストワンマイル」領域に強みを持つ。また、競合他社と比較して、fromBの輸送領域における優位性は特筆すべき点である。
 現在、同社を取り巻く環境要因は以下の3点である。1:生産年齢人口の減少による人手不足、2:EC市場の成長、3:アジア市場の成長。また、COVID-19感染拡大も考慮すべき点であろう。このような状況下において、巣ごもり需要からEC市場が急成長していること、及び非接触・非対面での配送等の荷物の受け渡し方法が多様化していること等の理由から、同社のBtoC荷物の取り扱い個数は大幅に増加している。このように、BtoC領域の収益は増加傾向にあるものの、他方、BtoB領域の収益は、航空やコンテナのスペース不足等の理由から、回復傾向にあるものの減少している。

 そのような中で、同社は中期経営計画の中で、「さらに進化した総合物流ソリューション」を掲げ、物流領域の拡張を重点施策としている。

 以上を鑑みるに、同社が今後3年間の成長のため検討すべき戦略は、物流のバリューチェーンにおいて、調達・製造・流通パートに当たる「川上部分」の強化である。BtoC領域のラストワンマイル配送は、ECに関連する荷物の増加によって、継続的な伸長が期待できる一方で、荷物の小型化による利益率の低下が懸念される。

 そのため、高付加価値かつ比較的手薄な物流の川上領域への強化が必要と考える。具体的には、海外拠点の構築によってロジスティクス事業のカバー領域を拡大し、元来強みを持つデリバリー事業と掛け合わせた「調達から販売までのワンストップ配送」を実現することだ。本戦略によって、上述の環境要因2及び3に関して、急成長するアジア市場での越境EC需要を取り込める点にも留意したい。
 この成長戦略を実現するにあたり、M&Aが最も有効な手段であると考える。海外展開するに際して、イチからの現地シェア構築や現地の商慣習・規制への対応は、時間と資金を要するものである。この点において、M&Aは非常に有効な手段になり得ると考える。また、M&Aに際しての資金調達の実現性も検討しなければならない。過去4年間において、同社の純資産額は増加傾向にあり、自己資本比率も大幅に増加、ネットD/Eレシオは0.1と業界基準比で低いものとなっている。同社は社債の発行経験は無く、格付けを有していないが、先述の財務状況及び同業種のヤマトホールディングスと比較して、AA-の格付けが想定される。したがって、手元預金および借入、社債発行による資金調達は十分に可能であると考えられる。
 
3. 「今後3年間の自社の成長の最大の脅威となるリスク」に挙げられている各種リスクの中から、1で選択した企業が最優先で対応すべきと考えるものを1つ選択し、必要となるリスク対応策を検討し、説明せよ。その際、選択したリスクを自分なりに定義した上で、当該リスクの内容をできる限り具体的な例を挙げ説明すること。

 SGホールディングスが最優先で対応すべきリスクとして、環境/気候変動を挙げる。ESG投資の浸透による資金調達の難化や、資源高による収益性の悪化が懸念されるためである。その際の対応策として、ESG債の発行による資金調達と炭素排出量に関する情報の開示を検討する。
 世界的な環境/気候変動への意識の高まりによって、カーボンニュートラルへの取り組みは拡大している。そのため、再生エネルギーへの投資が増加し、新規の石油投資を敬遠する動きが広がっている。実際にOPECの石油増産ペースは緩やかなものであり、ロシアに関係する地政学リスクと相まって、供給ひっ迫は今後も継続することが予想される。そのため、現在高騰している原油価格は、継続して高水準で推移すると考えられる。この点は、物流運送業を営む同社において、大きな事業リスクであると考える。
 また、ESG投資の浸透も検討しなければならない。金融市場においては、ESGへの寄与度を基準に銘柄選別する動向が見られる。そのような点において、CO2排出量の多い運送業界の資金調達は困難となることが考えられる。
 これらのリスクへの対応策として、「ESG債の発行による資金調達」および「カーボンニュートラルへの取組みに関する非財務情報の開示」の二点を考える。
 同社は、カーボンニュートラルへ向けた取り組みとして、配送車両の電気・ハイブリッド・天然ガスによって駆動する車両への転換や、輸配送の効率化のため配送拠点の建設が求められると考える。これらの取組みに際して、移行債やグリーンボンド等のESG債の発行によって、効率的かつ低金利で資金調達が可能となる。また、上述の取組みによって削減されたCO2排出量などの非財務情報を積極的に開示することによって、市場の同社への投資を促すこと及び同社自身にカーボンニュートラルへ向けた取組みへのインセンティブを課すことが可能となる。

 


外資系戦略コンサル】 

・あなたが戦略コンサルティングに興味を持った理由は何ですか(400字)

 私の「企業の経営を支援し、最大多数の幸福を実現したい」という夢を叶えられる環境であるため、戦略コンサルティング業界に興味を持った。

 私は、幼少期に父の経営する会社が倒産し、裕福とは言えない環境で育つ中で、人の生活ひいては社会全体に大きな影響を与える「経営」というものに一貫して興味を持ってきた。私にとっては、企業の経営を支援し、成長に貢献することは、父のような屈辱、母のような苦労、自身のような苦悩を感じる人々を救うことと同義であり、幸福で充実した社会経済の実現に寄与するものだと確信している。

 そのような中で、戦略コンサルティング業界では、幅広い業界のビジネスに一気通貫して携わり、クライアントの成長のために尽力できる点で、目標達成に最適な場であると考えている。そのような環境に身を置き、大学時代の経験を通して培ってきた「課題解決力」や「タフネス」を以って、上述の夢を叶えたいと強く感じる。


【広告代理店】 

・〈My Vision〉これからの人生で達成したいことや社会の中で生み出したい成果、将来にわたって大切にしたいライフスタイルなど、あなたの中長期的なヴィジョンを最大3つ、各30字で表現してください。
・時間も場所も超えて、世界中の人に影響を与える存在になりたい
・好奇心と想像力を絶やさず、「遊び心」を持った大人でありたい
・人の感情を動かし、最大多数の最大「楽しい」を実現したい
 
・〈My Engine〉あなたのこだわりや、判断軸となっている価値観など、人生において原動力となっているものを最大3つ、各30字以内で表現してください。そしてそれらをまとめて、あなたの“等身大の個性”を表す言葉を30字以内でつけてください。
①泥臭くともダサくとも、何とかして道を切り拓く
②一人でも多くの人と「楽しい」という感情を共有したい
③人々の心を動かす「偉業」を成し遂げ、多くの人に認められたい
 
・私は「人生を楽しみ、人を楽しませ、都のように人が集まってくる人間」だ(30字)

 

・Personal Core Sheetを踏まえて、あなたが〈社名〉で実現したいや経験したいと思ったことを300字以内で記入してください。

 私は「誰かの心を動かし、行動の後押しをして、その人の“世界”を変革したい」。その実現のため、良質な商品やサービスの魅力を世に広める支援をしたい。私は音楽活動を通して、表現によって人を楽しませ感情を動かすことに楽しさを覚えた。また、フィリピン政府観光省での長期インターンシップ経験から、人々に「未知のワクワク」を提供するやりがいを学んだ。そのため、人々の心を刺す表現によって新たな選択肢を提供する広告業界に魅力を感じている。その中でも、生活者に深く寄り添う貴社でこそ、より多くの人により大きな影響を与えられると考えている。貴社において、社会を巻き込む表現を以って人々の「世界」を変革したい。

法律に学ぶ☆恋愛ライフハック講座♡

恋愛において、上手くいかなくてしんどくなったり、モヤモヤが積もって辛くなったりすること、ありますよね!

恋愛なんて不合理の極みの行為なんですから、それも当然です!

 

今日は、そんな恋に悩める皆さんに、法律に学ぶ☆恋愛ライフハック講座♡をお届けします!

 

現役法学部生の僕が、皆さんの恋の悩みを解決する法律の考え方を紹介しちゃいます!

 

これであなたも恋愛マスターだ!

 

1.遡及処罰の禁止

恋人の元カレ/元カノのことを考えて嫌~な気持ちになったり、自分と付き合う以前に浮気をした過去があったり経験人数が多かったりして、なんだかモヤモヤすることありますよね?

 

そんな時には、「法の不遡及」です!

 

法の不遡及とは、法体系における理念の一つで、法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されないという原則です!

例えば、明日に「牛肉を食べるのは犯罪です!」という法律が急に出来たとして、「お前は牛肉を食べたことがあるな?だから逮捕する!」と言われて刑務所に入れられたら困りますよね。

だから、実行時に適法だった行為は、たとえ後にそれが違法となる法律が出来たとしても、時をさかのぼって処罰することを禁止しているんです!

日本でも、日本国憲法第39条で定められているんですよ!

 

この「法の不遡及」は、”遡って罰することを禁止している”から「遡及処罰の禁止」とも言います。

 

彼氏・彼女の過去の恋愛や異性関係について嫌な気持ちが抑えられず、つい恋人に当たってしまいそうになった時こそ、「法の不遡及」の出番です!

「あ、遡及処罰は憲法で禁止されてるんだから、仕方ないね☆」

と思えば、嫉妬に狂った心も水面のように静まっていきますね!

 

2.思想・良心の自由

続いても憲法からの紹介です!

「俺/私以外の人のこと考えないでよ!」

「私/俺に不満を持ってることすら許せない」

こんなこと、よくありますよね!

 

そんなときは、「思想・良心の自由」です!

 

これは日本国憲法第19条に定められる自由権で、「”人があることを思うこと”は自由である」という規定なんですね。

 

確かに、恋人の意識や考えていることまで支配したい、自分のことだけ考えていて欲しい、しかも出来るだけネガティブな思いは抱いていて欲しくない、という願望は分かります!

でも、人間が人間たる証左である「思考」の自由というものを奪ってしまったら、もうその人の存在って何なんでしょうね☆

 

ですから、上のような”モヤモヤ”や”イライラ”を抱いたときこそ、「思想・良心の自由」です!

憲法で定められてるんだから、仕方ないですね。

それでも納得できずに恋人の思想にまで介入し出したら、憲法違反として最高裁で裁かれちゃいますよ!

憲法に背く恋」なんてのも、なんか素敵な響きですけどね!

 

3.統治行為論

「恋人/異性に思っていることがあるけど、これを言っちゃったら関係が終わっちゃうだろうな...」

と、相手への不満や不安などを自分の中に押し留めて辛くなっちゃうこと、ありますよね。

 

そんな時には、「統治行為論」です!

 

統治行為論とは、「国家統治の基本に関する高度な政治性」を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、高度の政治性のある事柄については司法審査の対象から除外する、という理論です。

簡単に言えば、国家の行く末に関わるような大事なことってのは政治の話だから、裁判所が良い悪いを決められないよね(決めたくないよね)、ということなんですね!

 

実際に日本の最高裁が「統治行為論」を用いて司法判断を回避した苫米地事件砂川事件は、みなさんも社会の授業で習いましたよね!

 

さて、法律について国の中で一番偉い機関である最高裁ですら、「国家そのものに影響があるようなそんな大事な話に、自分が善悪を付けたくないよ!泣」って言ってるんです!

「こんなこと言ったら嫌われるよね」

「こんなこと言ったら関係が終わっちゃうよね」

と辛くなっているあなたも統治行為論を使っちゃいましょう!

あなたに不安や不安を抱かせる彼/彼女の言動について、その言動自体の善悪とか考えるのはやめちゃいましょう!

 

臭いものに蓋。見て見ぬふり。これだとなんだか解決していないような気がしますよね。

でも、「これは統治行為論だから!」て思えば、なんだかそれっぽいし、正当化される気がしますよね!

善悪の判断をしないんだから、「相手が悪い」という気持ちそのものも、それによって生じる不満や不安も無くなって、結果的にあなたの心も二人の関係も穏便なままで済みますね!

 

 

どうでしたか?

今日は法に関する3つの考え方を紹介しました!

これで皆さんも恋愛マスター間違いなしです!

それでは、よい恋愛ライフを~!

 

 

 

シャトルラン・コンプレックス

小学生の時、隣の席の女の子に泣かれた。

僕は花粉症持ちで鼻炎持ちだったから、「口呼吸の音がキショすぎる」という理由で泣かれた。

 

音楽会で、同じ木琴の担当になった女の子に泣かれた。

 

その前の年の音楽会では、『ブレーメンの音楽隊』のミュージカルをした。

ロバとか、犬とか、ニワトリとか、いくつかの役に4~5人ずつで分けられた。

ひょうきんで、人気者の男の子たちは強盗役だった。

役決めの日、僕は学校を休んでいた。

次の日、学校に行ったら、僕は黒ネコ役に決められていた。

女の子たちに混ざって、男の子は僕たった一人だけだった。

練習でも、本番でも、黒ネコの群れに混ざれなかった。

男の子からも、女の子からも、疎外されているのだと感じた。

 

運動神経が無かった。

休み時間のサッカーは、どれだけ「ヘイパ!ヘイパ!マイボ!」と叫んでも、パスは回ってこなかった。

僕の位置取りが悪かったのかもしれないし、他の子が意識的に僕にはパスを回さなかったのかもしれない

昼休みの校庭で、僕だけ、サッカーじゃなくてシャトルランをしていた。

 

小体連という、市内の全小学校対抗の陸上大会があった。

僕たちの学校は人数が少なかったから、ほとんどの子が選手になれた。

でも僕はなれなかった。

応援団だった。

選手に選ばれなかったのは、僕を含めて3人だけだった。

応援副団長になった。

非・選手は3人いて、内訳は応援団長1人、副団長2人だった。

つまり、選ばれなかった中でも、選ばれなかった。

当日は、お母さんが気合いを入れたお弁当を作ってくれた。

タコさんウインナーに悲しくなった。

 

バレンタインデーの丁度その日に、担任の先生が出張でいなかった。

だから、女の子はみんなここぞとばかりにチョコを持ってきて、男の子はみんなここぞとばかりに受け取っていた。

後日、それを知った先生が激怒して、「学校にお菓子を持ってきたヤツも、貰ったヤツも、みんな立て」と言った。

僕だけが座っていた。

先生は、「がくとくんを見習え」とみんなに言った。

みんな立っていて、僕一人だけ、埋まっていた。

みんなが僕を見下ろしていた。

 

髪型にこだわっていた。

小学生なのにアシメにしていた。ワックスも使ったりしていた。

「ナルシ」ってイジられた。ノンスタ井上だって言われた。

男の子にも女の子にも言われた。

そんな風に僕をからかった奴らが、中学生になって洒落っ気づいて、休み時間に「ワックス貸してくれん?」って言ってきたときは、殺してやろうかと思った。

 

他者に、とりわけ女の子に好意を向けられるということが、分からなかった。

「女子」は、僕をキモがる存在だと、虐げてくる存在だと思っていた。

「僕はオスとして劣っているのだ」と思っていた。

今も思っている、かもしれない。

 

この劣等感と逆・自尊心は、いつまで経っても消えてくれない。

 

この感情を、何年間もずっと、ずっとずっと、繰り返している。

増幅させながら、深化させながら、反復している。

スタートが無ければゴールも無く、ただただ反復している。

昼休みのシャトルランを、僕は今も続けている。

 

僕は今も、あの教室に埋まっている。

 

言葉の流れる河

河が流れている。

どこから流れているのか、どこに流れているのか、どこまで流れているのか、誰も知らない。

それでもただ悠然と、河は流れている。

 

A「彦星と会えますように」

B「ケーキ屋さんになれますように」

C「戦争がこの世から無くなりますように。あとお金持ちになれますように」

D「おとうさんのどなーがみつかりますように」

E「時を止める能力が身につきますように。(透明人間になれる能力でも可)」

F「憎いあの人が、私を不幸にしたあの人が、できるだけ不幸な人生を送りますように」

G「今がずっと続きますように」

H「三菱商事に内定してCAと付き合えますように」

I「一日でいいから、退院して家で嫁と過ごせますように」

J「あのアイドルのライブのチケットが当たりますように」

K「”産まなきゃよかった”って言うお母さんに、ごめんなさいって言えますように」

L「今の醜い顔面を捨てて、もっと綺麗になれますように」

M「誰にも迷惑をかけず、人知れず、ひっそりと死ねますように」

N「かれこれ1年以上指名し続けているルリちゃんが枕してくれますように」

O「二人でずーっと一緒にいられますように♡」

P「私のことを、世間が、社会が、もっと正しく評価してくれますように。そして、今の私の不幸は親や教師や電通自民党のせいでありますように。」

Q「あの人が早く奥さんと別れてくれますように」

R「二人でずーっと一緒にいられますように♡」

S「暴力が無くなりますように」

T「東京にいる息子が元気でいられますように」

U「ワクチンの真実を人々が知ってくれますように」

V「6年前の罪が許されますように」

W「死後、救済されますように」

X「担当がナンバー入れるように、もっとデリの指名が入りますように」

Y「終わりませんように」

Z「織姫と会えますように」

 

言葉が思考を作り、思考が願いを作り、願いが世界を作る。

言葉が世界を作るのであるし、言葉で世界は作られなければならない。

 

 

河が流れている。

流れているのは、時間かもしれなければ、歴史かもしれない。それらは、或いは同じなのかもしれない。

「なんであれ、流れるのはこの河だけでいい」

そんな願いも飲み込んで、ただ、河は流れている。

浮気って、「どこまで」が浮気?

「浮気って、”どこから”が浮気?」

この問いは、あくまで「行為」に着目した議論に過ぎない。

「キスをしたら」だとか、「セックスをしたら」だとか、「二人きりで遊んだら」だとか、幾つかの外形的な行為の中で、各人が各人の価値観に則って、どこに”ライン”を引くかの話だ。

もっと、視野を広げる。視点を変える。

 

「浮気って、”どこまで”が浮気なんだろう?」

 

例えば、僕に彼女がいたとする。

そして、その彼女が浮気をしたとする。

 

ここで、浮気を定義しなければならない。それは、上述の問いに答えることと同義だが、ここでは、「自分(=僕)以外の存在と性行為をすること」としたい。

これは、話を進めるために便宜的にそう定めるだけであって、僕にとっては「どこから」が浮気かどうかは、別にどうでもいい。

 

「彼女が浮気をした」と言えば、(意図的にこの言葉を使うが)一般的には、あるいは社会的には、「彼女」が、僕以外の「男」と浮気をしたと理解される。

 

では、例えば、浮気相手が女だったらどうだろう。

女性である”彼女”は、女性である「僕以外の誰か」と性行為をした。

 

「彼女が他の男と性行為をした」という「一般的」な浮気であれば、多分僕は受け入れられない。その事実に拒絶の感情を抱くと思う。

それは、支配欲や独占欲のせいでもあるし、「他のオスに負けた」というオスとしての劣等感のせいでもあるし、彼女に「僕を傷つけても良い」と思われたが故の悲哀のせいでもある。

そして、それらと同様に、もしくはそれ以上に、「汚さ」のせいでもある。

僕は男だから、男は汚いものだと思っている。臭くて、毛むくじゃらで、不潔。

僕は男だから、女は綺麗なものだと思っている。良い匂いがして、肌が柔らかく、清潔。

だから、女の子が僕と寝ることを受け入れてくれた時に嬉しさを感じるのは、「”綺麗”な存在が、”汚い”僕を受け入れてくれた」と思えるからでもある。

 

そして今ここでは、彼女が、綺麗な彼女が、他の男と、汚い男と、汚いことをした。

だから、拒絶の感情を抱いてしまう。

 

でも、浮気相手が女だったとしたら。

汚い存在に、彼女が汚されたわけではない。

だったら、嫌悪感を抱くのだろうか。

 

 

もっと言ってしまえば、人間以外だったらどうだろう。

動物だとしたら、どうしよう。例えば犬だったら。

植物だとしたら、どうしよう。例えば木だったら。

もはや生命以外のモノだとしたら、どうしよう。

マネキンだったら、スリッパだったら、お風呂の浴槽だったら。

 

重要なのは、この時彼女がしているのは、犬や木やモノを使った自慰行為ではないということだ。

彼女は、これらの存在を「道具」としているのではなく、「対象」としている。

彼女はこれらの存在に対して、愛情も性欲も抱いていて、そしてそれは人間が人間に対して抱くものと全く同質である。

そして、彼女自身が「これは性行為である」と認識する行為を、それらの対象としている

 

つまり、この行為は、彼女の中では「人間とする性行為」と何ら変わらない意味を持っている。

 

果たしてこの時、

世間はこの行為を「浮気」だと認めるのだろうか。

僕はこの行為を「浮気」だと思うのだろうか。

 

僕はどんな感情を抱くのだろうか。

 

ひょっとしたら僕は、風呂の浴槽に嫉妬したりするのだろうか。

 

犬であれば、しそうだな。

猿ならもっとしそうだな。

でも、スギの木にはしなさそうだ。

なのに、精巧なマネキンにならしそうだな。

 

分からなくなってくる。

どこに”ライン”が引かれるのか。

 

もし、彼女が浮気をしたとして。

 

もし、その相手が男ではない「何か」だったとして。

 

もし、嫉妬しないのなら。

もし、嫌悪感を抱かないのなら。

もし、悲しい気持ちにならないのなら。

 

 

浮気とは、どこまでが浮気なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「食べちゃいたいくらい好き」 ー食欲と性欲と暴力ー

君にだけ、僕の狂気を教えよう。

でも、この狂気は、愛であって、しかもとびきり純粋な愛なんだ。

しかも、僕だけの狂気じゃない。人間という種の狂気なんだよ。

 

僕はね、人間が好きだ。

「三大欲求」という生理的で原始的、かつ動物的な欲望を抱えながら、それらを秘匿し「我らのみが理性を持つ」と言わんばかりの社会生活を送り、しかしその「理性」を以って料理や避妊、低反発まくらなど、様々な工夫を凝らしてまで三大欲求を楽しもうとしている。

そんな人間という種が好きなんだ。

野生と理性。低次と高次。個人という文脈においても、種という文脈においても、そんな極端な自己矛盾を抱えた「人間」という存在は、なんと健気で愛らしいんだろう。

 

大前提として、人間は獣だ。

獣なのだから、暴力からは逃れられない。暴力だよ。

食と性なんて、暴力そのものだ。食欲も性欲も、暴力欲が文脈を変えただけなんだよ。

そうだろう?

例えば、食はどうだ。僕たちは肉も食う。魚も、野菜も食う。動物でも植物でも、そこには生命活動というものがある。それを奪ってでも、殺してでも、食らうんだ。

一方、性はどうだ。別に排泄欲だけなら、独りで射精でもしていればいいだろう。でも、そうじゃない。僕たちは誰かと交わりたがる。その欲望の根底には、汚したい、壊したい、奪いたい、そんな気持ちがある。これが暴力への衝動ではなくて、何だと言うんだ?

 

当然、食や性にまつわる行為が、「暴力」なんていう過激な概念から離れて、生命活動を維持するための機能的な行為という意味を持つことにも、間違いはない。

 

僕たちは食らう。意識的に、無意識的に。

「死にたい」と呟くメンヘラも、リスカ痕が残るその腕で箸を持ち飯は食う。

 

君はエヴァンゲリオンを観たことがあるか?あれはいい。人間の本質が描かれている。

 

最終作にあたる『シン・エヴァンゲリオン』において、シンジ君は、心を閉ざし、言葉も交わさなくなっている。出された食事にも手を付けない。

そんなシンジ君を案じて、アヤナミレイは、独りで塞ぎ込むシンジ君のそばに食べ物を置いていく。そして、シンジ君は、誰もいなくなってから、涙を流しながらそれを食べる。

これがどういうことか分かるかい?

どれだけ絶望していても、どれだけ死を望んでいても、腹は減るんだよ。

 

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性欲も同じさ。

せっかくだからこれもエヴァを引き合いに出すけれど、旧劇場版の方は観たことがあるかい?『Air/まごころを、君に』だ。

その冒頭のシーンは、非常に有名だね。

精神崩壊して廃人同様になり、病室のベッドに横たわるアスカと、その横で見守るシンジ君。シンジ君がアスカの肩に手を掛けた瞬間、アスカの服がはだけて、その胸が露わになる。それを見たシンジ君は、なんと、その場で自慰を始めてしまうんだ。そして、精液のかかった己の手を見て、「最低だ、俺って」と呟く。

 

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どうだい?己の肩に世界の命運が掛かっている状況でも、親しい大切な女がその精神を壊している状況でも、性欲は生じるんだよ。

そして、それが「最低」だとも理解しているんだよ。

理解していながら、いやむしろ、理解しているから、射精するんだよ。

 

素晴らしいね。人間そのものじゃないか。

食欲は、性欲は、人間を裏切らないし、

人間は、食欲を、性欲を、裏切れない。

 

そして、重ね重ねになるが、これらの欲求は、僕たちの持つ「暴力への憧憬」が形を変えたものなんじゃないかな。

そもそも、食欲も性欲も、「生命活動の維持」という機能的な意味を越えたところでは、同一の欲求だと僕は考えている。

 

かの文豪・芥川龍之介が、後に妻となる塚本文という女性に向けて綴った恋文がある。

その中の一節にね、こんなものがあるんだ。

 

この頃ボクは文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘ぢやありません。

 

ここでの「食べちゃいたいくらい」は、果たして比喩としての表現に留まるのだろうか?

芥川は、文学的に巧妙な表現をするためだけに、この言葉を用いたのだろうか?

僕は、違うと思うんだ。

少なくとも僕は、言葉通り本当に「食べちゃいたい」と思う愛情の形を理解できる。

 

食べるとは、身体に取り入れ、自らの血肉とすることだ。

その「食べる」という行為への欲求と性欲との間に差異などあるだろうか?

 

性の視点から見た方が、直接的でわかりやすい。

考えてもみるんだ、幼い頃には「汚いから触っちゃダメ」と言われたような場所を、触る、擦り付けあうに留まらず、口に含みさえする。下品なまでに求めあい、貪りあう。

さらに女性は、物理的に「取り込む」ことさえできる。

これらの行為は、広義で捉える「食べる」行為と何が違う?

 

食べたい。触れたい。交わりたい。

境界をなくして一つになりたい。

 

食欲も、性欲も、その衝動の根底は同質なんだ。

たった一つの根源的な欲求が、時には食で、時には性で、外形的な行為を変えて表出しているだけなんだよ。

 

ところで、ゴヤを知っているかい?スペインの画家だ。

彼の絵に、『我が子を食らうサトゥルヌス』というものがある。

 

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ギリシア神話におけるサトゥルヌス(サターン)が、自身の子どもの一人に倒されるという予言を恐れて、我が子を食べ殺しているシーンを描いたものだ。

面白いのはここからだよ。

この絵はゴヤにより描かれた後、他人の手によって修正されている。

では、どこが修正されたのか。

サトゥルヌスの陰部だよ。

もともとの絵では、サトゥルヌスの陰茎は勃起していたんだ。

子を食べながら、勃起させていたんだよ。

 

僕はね、まだ子を生していないから、我が子を食べるサトゥルヌスの気持ちをそっくりそのまま想像することはできないけれど、愛する存在を食べることは想像できる。

どうだろう、いざその状況になれば、僕がその行為者になれば、僕の身体には、サトゥルヌスと同様の反応が起こると思うよ。

 

考えてもみなよ。

愛する女性の、その血肉を咀嚼し、飲み込み、その血肉を構成する素粒子一つも残さず吸収する。同一になれるんだ。

その行為は、愛ゆえの破壊であり、愛ゆえの同化でもある。

究極の愛のかたちだろう?

 

新約聖書の中には、こんな記述がある。

 

エスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものには、永遠の命があり、私はその人を終りの日によみがえらせるであろう。」

ヨハネによる福音書6章53節と54節

 

僕はキリスト教徒ではないから、ここから得られる教訓や教義は分からない。

これを読んで、僕が一番最初に思ったのは、「食べることで、命は受け継がれるのだ」ということだ。

自分の中に、相手を内包できる。内包?少し違うな。一つに、同一になれる。

だから僕は、食べたい。愛する人を、食べたくて仕方がない。

 

こんな行為を異端だと思うかい?

狂っている、ありえない、そう思うだろうか。

 

ならば、カマキリはどうだい?

カマキリは、交尾の最中や後に、メスがオスを捕食することは有名だ。

メスがオスの頭部を嚙みちぎっても、交尾は継続する。

それどころか、オスは自身の頭部を失っても、交尾を継続することができる。むしろ、頭を食われた後のオスは、一層精力的に交尾を続ける。

当然、昆虫なのだから、「メスや子に栄養を与えるため」という、ただただ合理的な理由なんだろう。

虫なのだから、パートナーを食わんとする/食われんとする個体そのものには意思は無いかもしれない。だが、カマキリという種の全体としての意思が、そうさせている。むしろ、本能的に、遺伝子的に、そのような愛の形を取るんだ。

自然界という、社会性や理性なんていうものが存在しない純粋な世界に、この行為は確かに存在しているんだよ。

なんて素晴らしいことだ。

 

でもね、実際には、愛する人を食べることはできない。

僕たちは人間だからね、社会という共同体に身を置いているからね、法律がある。

「恋人を食べること」は禁止されていない。

でも、「死体を損壊すること」「人を殺すこと」は禁止されている。

だから、人を食べることはできない。

「一つになりたい」という欲求を、直接的かつ究極的に満たすことはできない。

 

じゃあどうするか。

そう、食欲や性欲という形に代替させ、それぞれを別個のものとしてカテゴリー分けする。

それどころか、あまつさえ、そんな欲求は「はしたない」ものだとしている。

特に性欲に関しては酷いものだ。

 

例えば、肌の露出について。

とある宗教では、「女性は肌の露出は避けるべきである」とする教義があるという。

信仰の自由は否定されるべきではないという一般論もあるが、同時に、女性の肌の露出を抑制するのは前時代的であるという風潮もある。

なるほど、女性が自由に着たい服を着て、肌を出したいだけ出せる。

僕は、ジェンダーの論客ではないから、その風潮に是非を唱えたいわけではない。

僕の関心があるのは、仮に「女性が肌を出しているのが進歩的」であったとして、ならば、露出の極致である「裸」は最も進歩していることになるのか、という点だ。

たぶん、ならない。社会がそうだとは認めない。

 

そもそも、アダムとイブは裸で創られ、智恵の実を食べて恥じらいを知るまで、裸で生活していた。つまり、神は、人間に裸を望んでいたことになる。

なのに、裸は、性欲は、禁じられているんだ。

面白いと思わないかい?

 

僕はね、これを悪いことだとか、直すべきことだとか言いたいわけじゃないんだ。

いくら社会がそのように存在していても、人間の内の三大欲求は、確かにあるんだ。

しかもそれは、「一つになりたい」という、狂気。

なにも僕だけじゃない。

恋人を壊したいから、汚したいから、傷つけたいから、セックスをするのは、僕だけじゃない。

それでも飽き足らなくて、食べたい、食べちゃいたい、一つになるために、と思うのは、僕だけじゃない。

これは、人間という種で共有する狂気なんだよ。

それなのに、みんな、澄ました顔をして社会で生活している。

 

そんな人間という生き物を、可愛くて健気だと、君は思わないかい?

 

終わりと始まりと、始まりと終わりと

一つ前の記事で「時間」について触れましたが、書きながらそこから少し派生して、「始まり」と「終わり」について思索に耽ったので、備忘録的に記しておきます。

 

僕はなにぶん女々しい性格なもので、当然のごとく邦ロックが好きなんですが、バンドの曲を沢山聴いていると、「始まり」や「終わり」について歌っている詞に少なからず出会います。

 

その中でも特に、下記の2曲に注目したいんです。

RADWIMPSの「ラストバージン」と、My Hair is Badの「青」です。

 

終わりは始まり 分かってるって

ここまでもなんとかそうやって
いつもやってきたけど
これを終わらせたら間違いって

次の始まりなどいらないって
思える 今を ここで

ー ラストバージン/RADWIMPS

 

今年もきっと夏が全て乾かしてしまうの

始まりが何かの終わりなら

ここで濡らしたいんだ

ー 青/My Hair is Bad

 

どちらとも「始まり=終わり」という考え方では共通しているんですが、それぞれの曲の中で、RADWIMPS野田洋次郎さんは

「終わりが始まり」

My Hair is Badの椎木知仁さんは

「始まりが終わり」

と表現しているんですね。

 

この二つが「本質的には同じ」だということについては、例えば高校卒業のシーンをイメージしたら分かりやすいと思います。

高校を卒業して、大学進学の為に地元を出たり、就職したりする。

ここでは、「卒業」という「終わり」と、「新生活」という「始まり」は不可分なわけです。

始まりと終わりは表裏一体で、両者ともにどちらか一方だけでは成立し得ない。

一種のトートロジーに陥ります。

 

このように「始まり」と「終わり」は本質的には同じな一方で、野田さんと椎木さんの表現がそれぞれ違うように、「始まりは終わり」と「終わりは始まり」では意味合いが変わってくるとも思うんですね。

 

例えば、「恋人と別れる」ですとか「忘れられない人への未練を断ち切る」ですとか、そういった一つの「恋の終わり」があったとして、

そして「次への一歩を踏み出す」ですとか「別の人との恋を始める」ですとか、そういった一つの「恋の始まり」があったとして、

これらは順番次第で当人の感情の意味合いが全く変わってきます。

 

「君の他に好きな人が出来たから別れよう。」

「奥さんと別れてくれてありがとう。」

これらは「始まりが何かの終わり」なわけです。

何かを始めるために、何かを終わらせている。

 

「"結婚する"と信じて疑わなかった前の彼氏と別れた時はずっと泣いていたし、もう二度と恋愛なんてしないと思っていたけど、そのあと出会った今の彼氏は本当に良い人で、結婚しようかなって思ってる。」

これは「終わりは始まり」なわけです。

何かが終わったからこそ、何かが始まったわけです。

 

全く意味合いが違うと思うんです。

 

 

つまり、「始まりと終わり」とは、「同じだし、違うし、同じだし、違う」みたいなものだと思うんです。

「始まりと終わり」とは、「始まり」と「終わり」を繰り返す円環のようなものだと思います。

 

そして同様に、人生も円環だと思うのです。

僕たちは一直線の矢印のように考えているけれど、実は円環で、始まりも無ければ終わりも無くて、そして始まりと終わりを繰り返している。

 

僕は地元の市営バスの路線で、「循環線」が好きです。電車の環状線も同様に好きです。

前に進んでいるようで、実はずっと同じところをグルグルしている。

循環線の始発点は、見方を変えれば終点で、そして逆もまた然りです。

「始まり」が「終わり」になって、「終わり」が「始まり」になる。

 

人生はそういった、始まりと終わりを繰り返す「循環線」だと思うのです。

始めるためにも勇気を持って終わらせ、一方で、終わりにひとしきり打ちひしがれたらまた始めれば良い。

 

そんな気付きをくれた音楽に感謝です。