時間的「好きだよ」、空間的「寂しい」

「異性は別の生き物だと思った方が良い」

こんな言説をよく聞きます。

 

なんだかんだ21年間も生きてきたら、この言葉を理解できるような経験を少なからずしてきました。まぁほぼ恋愛の場面に限られますが。

 

では、恋愛観について男女間でどのような相違があるのでしょうか。

仮にあるのなら、どういった所からその相違が生まれているのでしょうか。

 

この文章では、この問いについて僕なりに考察してみます。

 

前提として、僕は物事を語る時に、「男ー女」という雑なフレーム分けを用いるのは好きではないですが、

 

 ー例えば「奢る/奢られる論争」です。この問題について考える時に最も有効である(と僕が考える)フレームは「希少性」であり、そこから経済力や肩書き、容姿、年齢等々の様々な要素に分解出来るわけで、これらを無視して「男ー女」の雑な二項対立で論じるのはいささか無理がありますー 

 

まあこの文章では、恋愛という「男性と女性」の対で行われるものについて考えるわけですので、生物学的な意味での「男ー女」に分けて考えてみようと思います。

(当然ですが、世の中には色んな恋愛嗜好・性的嗜好の人たちがいます。この文章は、「男性は女性と、女性は男性と恋愛するものだ」という前時代的クソダサ論理に立脚するものではありません!)

 

さて、恋愛観における「男ー女」ですが、僕はこの二項対立は「時間ー空間」と関連付けて考えられると考えました。

もっと言えば、「男は時間的世界に生きていて、女は空間的世界に生きている」ということです。

 

まず、「時間と空間」という概念的で抽象的な、分かるようでわからないモノについてざっくり定義しなければなりません。

 

時間とは、Timeですね。もしあなたが今スマホでこの文章を読んでいるのなら、画面の左上に表示されているソレです。

少なくとも僕たち人間は、過去・現在・未来の一方向に流れていくものとして認識しています。不可逆性があり、逆向きに進むことはできません。過去には戻れませんよね。算数や数学で習った「座標」の考え方で言うならば、「時間」はx軸の一本だけで、つまり線分で表せますね。(あるいは、「時間はいつから流れ始め、いつ終わるのか」という問いがあることを考えれば、「直線で表せる」という表現の方が正しいのかもしれません)

 

一方で、空間、Spaceですね。みなさんが今いる部屋も一つの空間でしょう。少し”それっぽく”言えば「広がりをもった連続体」です。縦・横・高さがあり、いわゆる三次元、3Dのお話です。座標の考え方で言うなら、X軸・Y軸・Z軸の三本で表せるものですね。

 

こういうわけで、僕たちは空間と時間の三次元+一次元の中に生きています。

 

(僕はただのクソザコ法学部生で、哲学や物理学、数学を専門的に学んでいるわけではありませんから、このような説明に対して、その道に精通する人からは「それは違う!」という指摘があるかもしれません。その時は、後学のためにも僕にコッソリ教えてあげてください。お礼に僕の好きな鬼滅のキャラを教えてあげます。)

 

その上で、「男は時間、女は空間」という仮説を立てました。

 

幾つか、分かりやすい具体例を挙げてみようと思います。

 

例えば、高校生の時にTwitterをしていたら、「10時間のLINE、1時間の電話より、10分会える方が嬉しい」みたいなポエムを見たことがあります。これは女性の投稿でした。

そして、実際にこのポエムのように「会いに来て」ということを女の子が男の子に伝えた場合を考えると、大抵の男は付き合う前や付き合いたてこそは優しくするよう努めますから頑張って会いに行くものの、時が経つにつれて面倒くさがるのがオチです。

また、「都合の良い女」みたいな言葉ってありますよね。深夜に呼び出しても健気に化粧をして来てくれるような女の子、みたいなアレです。この逆、「都合の良い男」の話を聞くことは少ない気がします。

 

また、「セックスの後に、すぐ寝たりスマホを構ったりしないでいてくれる男って良いよね」みたいな女性の意見もよく聞きますね。

 

他にも、一緒にお家デートをしている場面を想像した時にも、男の子がゲームやスマホばかり構って、女の子が拗ねるなんてことが良くあると思います。

 

これらはある意味、女性は「同じ空間にいること(そして、”何か”を二人で共有していること)」を大事にしているからだと思うんですよね。

 

逆に、男性は「時間」に価値を見出しているわけで、その上で刹那的な行動を取りがちなわけです。

 

よく「男の恋は別名保存、女の恋は上書き保存」なんて言いますが、これってつまり、男は「過去・現在・未来」の時間軸の中で生きていて、過去だったり現在だったり個別の”座標点”を打てるからだと思うんです。

一方で女性は「空間」、つまり「物体が存在し、現象の起こる場所」的な価値観を持っているわけですから、「今、ここで、現象が起こっている」ことが大事で、過去なんかに執着しないわけです。

 

また、男は元カノやたった一度だけ関係を持った相手ですら、「アイツは未だに俺のことが好きなはず」とかなんとか愚かに思い込みがちな気がします。要は男は「過去に一度でもどこかで接点を持った相手のことは、いつまでもほんのり好き」なわけなんですね。

男は「時間」、つまりたった一本のX軸の上にいて、かつそれは「過去から現在・未来」への一方向だけ流れていくものですから、「過去」に起こったことはX軸方向である現在にも繋がっている、と感じているのではないかと僕は考えています。

 

さて、ここからはなぜこのような違いが生じるのか、その理由を考えてみます。

 

まずは、それぞれの生殖機能から考えてみようと思います。

男性は「膨張と萎縮」の繰り返しです。絶頂は文字通り「一瞬」なわけで、かつ連続するには時間的な間隔がある。

一方で女性には、時間的な継続は長く、そしてその連続には際限がないわけです。

 

故に、男性は断続的で刹那的な「時間的」世界に生きている。女性は連続的で広がりのある「空間的」世界に生きている。

 

あと、これは完全に思い付きですが、僕たち人間が「ヒト」として生き始めたころの、種としての「記憶」がそうさせているのではないか、という説も考えました。

男性は狩りに出て、獣と戦うわけです。それは死と隣り合わせで、まさしく人生は「刹那的」なものでした。

女性は家に残り、ご飯を作ったり子供を育てたりするわけです。これは連帯や協調が求めらるもので、かつ「広がり」のあるものです。

ただこれはあまりにも稚拙かつ短絡的すぎるので、マジでおまけ程度で書いてます。

ちなみに、現代ではもう誰が「狩り」に出ても「家」に残っても良いと思います。

 

まぁ、長々と書いてきましたが、この文章と考察自体がかなり「思い付き」的なもので、何かしらのデータを基にしているわけではないので、「ほぇ~、そう考えるのもオモロイな」くらいで読んであげてください。陰謀論とか都市伝説とかと同じ類です。

 

それでも何か一つ示唆を得るとしたら、

もし女性が、自分に対する男の”本気度”を計りたいのであれば、「どれだけ自分の下に足を運んでくれるか、どれだけ自分に時間を使ってくれるか」を見たら良いと思いますよ、ということです。

 

逆もまた然りです。男性もちゃんと時間をつかってあげて、そして同じ「空間」にいてあげることが、彼女やお嫁さんと長続きする秘訣なのかもしれません。

 

さて、つらつらと「男ー女」の二項対立で物事を論じてきましたが、我々人間は男性と女性のどちらもが揃って初めて「人間」なわけです。

そして、時間と空間、これらも二つが揃って「時空」になり、その三次元+一次元の中に僕たちは生きている。

どちらが欠けてもダメで、要は「二者の融和」が大事だよ、ということですね。

 

以上