終わりと始まりと、始まりと終わりと

一つ前の記事で「時間」について触れましたが、書きながらそこから少し派生して、「始まり」と「終わり」について思索に耽ったので、備忘録的に記しておきます。

 

僕はなにぶん女々しい性格なもので、当然のごとく邦ロックが好きなんですが、バンドの曲を沢山聴いていると、「始まり」や「終わり」について歌っている詞に少なからず出会います。

 

その中でも特に、下記の2曲に注目したいんです。

RADWIMPSの「ラストバージン」と、My Hair is Badの「青」です。

 

終わりは始まり 分かってるって

ここまでもなんとかそうやって
いつもやってきたけど
これを終わらせたら間違いって

次の始まりなどいらないって
思える 今を ここで

ー ラストバージン/RADWIMPS

 

今年もきっと夏が全て乾かしてしまうの

始まりが何かの終わりなら

ここで濡らしたいんだ

ー 青/My Hair is Bad

 

どちらとも「始まり=終わり」という考え方では共通しているんですが、それぞれの曲の中で、RADWIMPS野田洋次郎さんは

「終わりが始まり」

My Hair is Badの椎木知仁さんは

「始まりが終わり」

と表現しているんですね。

 

この二つが「本質的には同じ」だということについては、例えば高校卒業のシーンをイメージしたら分かりやすいと思います。

高校を卒業して、大学進学の為に地元を出たり、就職したりする。

ここでは、「卒業」という「終わり」と、「新生活」という「始まり」は不可分なわけです。

始まりと終わりは表裏一体で、両者ともにどちらか一方だけでは成立し得ない。

一種のトートロジーに陥ります。

 

このように「始まり」と「終わり」は本質的には同じな一方で、野田さんと椎木さんの表現がそれぞれ違うように、「始まりは終わり」と「終わりは始まり」では意味合いが変わってくるとも思うんですね。

 

例えば、「恋人と別れる」ですとか「忘れられない人への未練を断ち切る」ですとか、そういった一つの「恋の終わり」があったとして、

そして「次への一歩を踏み出す」ですとか「別の人との恋を始める」ですとか、そういった一つの「恋の始まり」があったとして、

これらは順番次第で当人の感情の意味合いが全く変わってきます。

 

「君の他に好きな人が出来たから別れよう。」

「奥さんと別れてくれてありがとう。」

これらは「始まりが何かの終わり」なわけです。

何かを始めるために、何かを終わらせている。

 

「"結婚する"と信じて疑わなかった前の彼氏と別れた時はずっと泣いていたし、もう二度と恋愛なんてしないと思っていたけど、そのあと出会った今の彼氏は本当に良い人で、結婚しようかなって思ってる。」

これは「終わりは始まり」なわけです。

何かが終わったからこそ、何かが始まったわけです。

 

全く意味合いが違うと思うんです。

 

 

つまり、「始まりと終わり」とは、「同じだし、違うし、同じだし、違う」みたいなものだと思うんです。

「始まりと終わり」とは、「始まり」と「終わり」を繰り返す円環のようなものだと思います。

 

そして同様に、人生も円環だと思うのです。

僕たちは一直線の矢印のように考えているけれど、実は円環で、始まりも無ければ終わりも無くて、そして始まりと終わりを繰り返している。

 

僕は地元の市営バスの路線で、「循環線」が好きです。電車の環状線も同様に好きです。

前に進んでいるようで、実はずっと同じところをグルグルしている。

循環線の始発点は、見方を変えれば終点で、そして逆もまた然りです。

「始まり」が「終わり」になって、「終わり」が「始まり」になる。

 

人生はそういった、始まりと終わりを繰り返す「循環線」だと思うのです。

始めるためにも勇気を持って終わらせ、一方で、終わりにひとしきり打ちひしがれたらまた始めれば良い。

 

そんな気付きをくれた音楽に感謝です。