浮気って、「どこまで」が浮気?
「浮気って、”どこから”が浮気?」
この問いは、あくまで「行為」に着目した議論に過ぎない。
「キスをしたら」だとか、「セックスをしたら」だとか、「二人きりで遊んだら」だとか、幾つかの外形的な行為の中で、各人が各人の価値観に則って、どこに”ライン”を引くかの話だ。
もっと、視野を広げる。視点を変える。
「浮気って、”どこまで”が浮気なんだろう?」
例えば、僕に彼女がいたとする。
そして、その彼女が浮気をしたとする。
ここで、浮気を定義しなければならない。それは、上述の問いに答えることと同義だが、ここでは、「自分(=僕)以外の存在と性行為をすること」としたい。
これは、話を進めるために便宜的にそう定めるだけであって、僕にとっては「どこから」が浮気かどうかは、別にどうでもいい。
「彼女が浮気をした」と言えば、(意図的にこの言葉を使うが)一般的には、あるいは社会的には、「彼女」が、僕以外の「男」と浮気をしたと理解される。
では、例えば、浮気相手が女だったらどうだろう。
女性である”彼女”は、女性である「僕以外の誰か」と性行為をした。
「彼女が他の男と性行為をした」という「一般的」な浮気であれば、多分僕は受け入れられない。その事実に拒絶の感情を抱くと思う。
それは、支配欲や独占欲のせいでもあるし、「他のオスに負けた」というオスとしての劣等感のせいでもあるし、彼女に「僕を傷つけても良い」と思われたが故の悲哀のせいでもある。
そして、それらと同様に、もしくはそれ以上に、「汚さ」のせいでもある。
僕は男だから、男は汚いものだと思っている。臭くて、毛むくじゃらで、不潔。
僕は男だから、女は綺麗なものだと思っている。良い匂いがして、肌が柔らかく、清潔。
だから、女の子が僕と寝ることを受け入れてくれた時に嬉しさを感じるのは、「”綺麗”な存在が、”汚い”僕を受け入れてくれた」と思えるからでもある。
そして今ここでは、彼女が、綺麗な彼女が、他の男と、汚い男と、汚いことをした。
だから、拒絶の感情を抱いてしまう。
でも、浮気相手が女だったとしたら。
汚い存在に、彼女が汚されたわけではない。
だったら、嫌悪感を抱くのだろうか。
もっと言ってしまえば、人間以外だったらどうだろう。
動物だとしたら、どうしよう。例えば犬だったら。
植物だとしたら、どうしよう。例えば木だったら。
もはや生命以外のモノだとしたら、どうしよう。
マネキンだったら、スリッパだったら、お風呂の浴槽だったら。
重要なのは、この時彼女がしているのは、犬や木やモノを使った自慰行為ではないということだ。
彼女は、これらの存在を「道具」としているのではなく、「対象」としている。
彼女はこれらの存在に対して、愛情も性欲も抱いていて、そしてそれは人間が人間に対して抱くものと全く同質である。
そして、彼女自身が「これは性行為である」と認識する行為を、それらの対象としている
つまり、この行為は、彼女の中では「人間とする性行為」と何ら変わらない意味を持っている。
果たしてこの時、
世間はこの行為を「浮気」だと認めるのだろうか。
僕はこの行為を「浮気」だと思うのだろうか。
僕はどんな感情を抱くのだろうか。
ひょっとしたら僕は、風呂の浴槽に嫉妬したりするのだろうか。
犬であれば、しそうだな。
猿ならもっとしそうだな。
でも、スギの木にはしなさそうだ。
なのに、精巧なマネキンにならしそうだな。
分からなくなってくる。
どこに”ライン”が引かれるのか。
もし、彼女が浮気をしたとして。
もし、その相手が男ではない「何か」だったとして。
もし、嫉妬しないのなら。
もし、嫌悪感を抱かないのなら。
もし、悲しい気持ちにならないのなら。
浮気とは、どこまでが浮気なのだろうか。