時間的「好きだよ」、空間的「寂しい」

「異性は別の生き物だと思った方が良い」

こんな言説をよく聞きます。

 

なんだかんだ21年間も生きてきたら、この言葉を理解できるような経験を少なからずしてきました。まぁほぼ恋愛の場面に限られますが。

 

では、恋愛観について男女間でどのような相違があるのでしょうか。

仮にあるのなら、どういった所からその相違が生まれているのでしょうか。

 

この文章では、この問いについて僕なりに考察してみます。

 

前提として、僕は物事を語る時に、「男ー女」という雑なフレーム分けを用いるのは好きではないですが、

 

 ー例えば「奢る/奢られる論争」です。この問題について考える時に最も有効である(と僕が考える)フレームは「希少性」であり、そこから経済力や肩書き、容姿、年齢等々の様々な要素に分解出来るわけで、これらを無視して「男ー女」の雑な二項対立で論じるのはいささか無理がありますー 

 

まあこの文章では、恋愛という「男性と女性」の対で行われるものについて考えるわけですので、生物学的な意味での「男ー女」に分けて考えてみようと思います。

(当然ですが、世の中には色んな恋愛嗜好・性的嗜好の人たちがいます。この文章は、「男性は女性と、女性は男性と恋愛するものだ」という前時代的クソダサ論理に立脚するものではありません!)

 

さて、恋愛観における「男ー女」ですが、僕はこの二項対立は「時間ー空間」と関連付けて考えられると考えました。

もっと言えば、「男は時間的世界に生きていて、女は空間的世界に生きている」ということです。

 

まず、「時間と空間」という概念的で抽象的な、分かるようでわからないモノについてざっくり定義しなければなりません。

 

時間とは、Timeですね。もしあなたが今スマホでこの文章を読んでいるのなら、画面の左上に表示されているソレです。

少なくとも僕たち人間は、過去・現在・未来の一方向に流れていくものとして認識しています。不可逆性があり、逆向きに進むことはできません。過去には戻れませんよね。算数や数学で習った「座標」の考え方で言うならば、「時間」はx軸の一本だけで、つまり線分で表せますね。(あるいは、「時間はいつから流れ始め、いつ終わるのか」という問いがあることを考えれば、「直線で表せる」という表現の方が正しいのかもしれません)

 

一方で、空間、Spaceですね。みなさんが今いる部屋も一つの空間でしょう。少し”それっぽく”言えば「広がりをもった連続体」です。縦・横・高さがあり、いわゆる三次元、3Dのお話です。座標の考え方で言うなら、X軸・Y軸・Z軸の三本で表せるものですね。

 

こういうわけで、僕たちは空間と時間の三次元+一次元の中に生きています。

 

(僕はただのクソザコ法学部生で、哲学や物理学、数学を専門的に学んでいるわけではありませんから、このような説明に対して、その道に精通する人からは「それは違う!」という指摘があるかもしれません。その時は、後学のためにも僕にコッソリ教えてあげてください。お礼に僕の好きな鬼滅のキャラを教えてあげます。)

 

その上で、「男は時間、女は空間」という仮説を立てました。

 

幾つか、分かりやすい具体例を挙げてみようと思います。

 

例えば、高校生の時にTwitterをしていたら、「10時間のLINE、1時間の電話より、10分会える方が嬉しい」みたいなポエムを見たことがあります。これは女性の投稿でした。

そして、実際にこのポエムのように「会いに来て」ということを女の子が男の子に伝えた場合を考えると、大抵の男は付き合う前や付き合いたてこそは優しくするよう努めますから頑張って会いに行くものの、時が経つにつれて面倒くさがるのがオチです。

また、「都合の良い女」みたいな言葉ってありますよね。深夜に呼び出しても健気に化粧をして来てくれるような女の子、みたいなアレです。この逆、「都合の良い男」の話を聞くことは少ない気がします。

 

また、「セックスの後に、すぐ寝たりスマホを構ったりしないでいてくれる男って良いよね」みたいな女性の意見もよく聞きますね。

 

他にも、一緒にお家デートをしている場面を想像した時にも、男の子がゲームやスマホばかり構って、女の子が拗ねるなんてことが良くあると思います。

 

これらはある意味、女性は「同じ空間にいること(そして、”何か”を二人で共有していること)」を大事にしているからだと思うんですよね。

 

逆に、男性は「時間」に価値を見出しているわけで、その上で刹那的な行動を取りがちなわけです。

 

よく「男の恋は別名保存、女の恋は上書き保存」なんて言いますが、これってつまり、男は「過去・現在・未来」の時間軸の中で生きていて、過去だったり現在だったり個別の”座標点”を打てるからだと思うんです。

一方で女性は「空間」、つまり「物体が存在し、現象の起こる場所」的な価値観を持っているわけですから、「今、ここで、現象が起こっている」ことが大事で、過去なんかに執着しないわけです。

 

また、男は元カノやたった一度だけ関係を持った相手ですら、「アイツは未だに俺のことが好きなはず」とかなんとか愚かに思い込みがちな気がします。要は男は「過去に一度でもどこかで接点を持った相手のことは、いつまでもほんのり好き」なわけなんですね。

男は「時間」、つまりたった一本のX軸の上にいて、かつそれは「過去から現在・未来」への一方向だけ流れていくものですから、「過去」に起こったことはX軸方向である現在にも繋がっている、と感じているのではないかと僕は考えています。

 

さて、ここからはなぜこのような違いが生じるのか、その理由を考えてみます。

 

まずは、それぞれの生殖機能から考えてみようと思います。

男性は「膨張と萎縮」の繰り返しです。絶頂は文字通り「一瞬」なわけで、かつ連続するには時間的な間隔がある。

一方で女性には、時間的な継続は長く、そしてその連続には際限がないわけです。

 

故に、男性は断続的で刹那的な「時間的」世界に生きている。女性は連続的で広がりのある「空間的」世界に生きている。

 

あと、これは完全に思い付きですが、僕たち人間が「ヒト」として生き始めたころの、種としての「記憶」がそうさせているのではないか、という説も考えました。

男性は狩りに出て、獣と戦うわけです。それは死と隣り合わせで、まさしく人生は「刹那的」なものでした。

女性は家に残り、ご飯を作ったり子供を育てたりするわけです。これは連帯や協調が求めらるもので、かつ「広がり」のあるものです。

ただこれはあまりにも稚拙かつ短絡的すぎるので、マジでおまけ程度で書いてます。

ちなみに、現代ではもう誰が「狩り」に出ても「家」に残っても良いと思います。

 

まぁ、長々と書いてきましたが、この文章と考察自体がかなり「思い付き」的なもので、何かしらのデータを基にしているわけではないので、「ほぇ~、そう考えるのもオモロイな」くらいで読んであげてください。陰謀論とか都市伝説とかと同じ類です。

 

それでも何か一つ示唆を得るとしたら、

もし女性が、自分に対する男の”本気度”を計りたいのであれば、「どれだけ自分の下に足を運んでくれるか、どれだけ自分に時間を使ってくれるか」を見たら良いと思いますよ、ということです。

 

逆もまた然りです。男性もちゃんと時間をつかってあげて、そして同じ「空間」にいてあげることが、彼女やお嫁さんと長続きする秘訣なのかもしれません。

 

さて、つらつらと「男ー女」の二項対立で物事を論じてきましたが、我々人間は男性と女性のどちらもが揃って初めて「人間」なわけです。

そして、時間と空間、これらも二つが揃って「時空」になり、その三次元+一次元の中に僕たちは生きている。

どちらが欠けてもダメで、要は「二者の融和」が大事だよ、ということですね。

 

以上

ナポレオンに憧れた少年

先生、お久しぶりです。

高校を卒業してすぐ、大学1年のゴールデンウィークに帰省した際にお会いしたのが最後ですから、もう3年ぶりになりますね。たった3年なのに、先生は一層老けられましたね。

え、僕もですか?顔が険しくなって、目の輝きも無くなっている?

そうですか、そうかもしれないですね。

思えば最近は鏡を見る機会も減っていました。

高校生の時はあれだけ外見を気にして、休憩時間のたびにトイレの鏡を見に行っていたのに、なんだか可笑しいですね。

 

今日は僕の話をしに来たんです。僕の過去の話を。

高校時代は進路だとか将来の夢だとか、先生とは未来の話ばかりしていましたが、今日は過去の話をさせてください。

先生にとっては、どうでも良いような話かもしれませんが、どうかお願いです。

気の利いた言葉も、慰めも、激励も要りません。聞いてくれるだけでいいんです。

 

僕は、この町に生まれました。

新幹線も通らず、東京へは高速バスで12時間以上もかかる、この町に。

サイゼリヤ松屋もLOFTも無い、無いものだらけの、この町に。

あるのは国宝の城と大きな湖、それとイオンくらいの、この町に。

唯一の観光名所ともいえる大きな神社は、10月には八百万の神様が集まるという言い伝えで有名だそうですが、老人しかいないこの町を象徴しているようで、なんだか哀れにすら思います。

 

父は建築士、母はパートの一般的な家庭の次男として、僕は生まれました。

父もかつては役所仕事を請け負う町一番の建設会社の社長だったそうですが、三位一体の改革で仕事がなくなり、もれなく倒産したそうです。

思えば、当時は珍しかったオール電化が配備された立派な一軒家から、冬は冷え込むトタン壁の借家へと引っ越した、幼少のあの日の記憶は、確かに残っています。

 

厳格で口数は少なくいかにも昭和気質の父と、優しくて寛容で、無償の愛を惜しみなく注いでくれた母。

父に直接叱られた記憶はありません。怒った時は不機嫌を露骨に態度で示す人間でしたから、家族はそれを察知しては粛々と過ごす日々でした。

母は腰が悪く、いつも松葉杖をついていました。父は不器用ですから感謝の言葉を母にかけることは滅多になく、だからこそ母は、無条件に自分を必要としてくれる子供たちを愛していました。

ですから、威厳の象徴である父に褒められた経験は少なく、一方で母は何でも僕を肯定してくれました。

自己愛が強くてプライドが高く、それでいて自己肯定感が低い、僕のこの歪んだ人格は、こんな環境で育ったが故なのかもしれません。

 

保育園を卒業したあと、僕は地元の公立小学校に入りました。

学年は30人、1クラスだけの小さな学校です。

そこに、僕の存在はありませんでした。

勉強は出来た方だと思います。ただ、足が遅かったのです。

たった二本しかない足を速く動かせなかった。ただ、それだけなんです。

足が速くて、ドッジボールが強くて、休み時間は校庭でサッカーをしている子が人気を得るという、恐ろしく本能的で合理的な小学生のコミュニティでは、僕はただの「出席番号21番」でした。

それ故なのか分かりませんが、僕は学校を休みがちでした。

朝になると布団から出ずに、適当に体調不良を訴えました。

母は仮病と分かっていて、休ませてくれました。

そしてお昼過ぎになると、病院へ行くんです。

母は仮病と分かっていて、車を出してくれました。

病院へ行った後は、本屋さんへ行って、好きな本を一冊買ってもらえるんです。

それが僕と母の「お約束」でした。

 

『ナポレオン』を読んだんです。

伝記の漫画です。

いつものように"病気"で休んだ日に、母が買ってくれました。

僕はそれを読みながら、鼓動を始めて7~8年しか経っていない小さな心臓が熱くなるのを、その拍動が強くなるのを感じたんです。

 

コルシカ島という田舎町の貧乏貴族の家に生まれ、絶対王政が敷かれていたフランスで帝政を樹立し、兵士から皇帝にまで成り上がった、ナポレオン。

そんな彼の生涯に自分を重ね合わせて、胸を躍らせていたんです。

 

 

 

小学生の頃、一度だけ家族旅行に行きました。

家族旅行と言っても、父の運転する軽自動車に家族5人で乗り込み、片道4時間をかけて広島へ行く、そんな程度です。

それでも、僕は驚きました。

そこは僕の知らない「都会」でした。

綺麗な街並み、煌びやかなお店たち、学校よりもずっと大きいビル。

まるで仮面ライダーのベルトやベイブレードなどの玩具が色鮮やかに並ぶデパートのチラシを見るような、そんな感覚に包まれました。

そんな眩い感情を抱く一方で、ドロドロした感情も抱いていました。

雨の日にひどくぬかるんだ校庭の地面のような、そんな感情です。

 

それは「恥ずかしさ」でした。

屹立するビルたちが、僕を見下ろしている。

道を往く人たちは何食わぬ顔で歩いていて、僕は建物を物珍しげに見上げている。

そんな対比の中で、「田舎者」である自分に、「外」を知らない自分に、恥ずかしさでいたたまれなくなったんです。

 

高校生になった僕は、東京の大学を目指していました。

この町から出たかったんです。

 

何一つ変化の無い「田舎」での日々。

平坦で、やけに車道だけ広い道を抜けて通う学校。

放課後も休みの日もデートも、全てがそこで完結してしまうイオン。

だだっ広い駐車場を併設したコンビニ。

自動改札も無く、駅員が自ら手動で切符を通す駅。

ライブに来たあのアーティストは、「絶対また来るからね」と言ったきり、この町には来ていません。

ただひたすらに、退屈だったんです。

 

この町には競争がありません。

高校受験の倍率なんて、1.1倍くらいです。

部活でも、4~5回勝てばインターハイに出られます。

”伝統ある”商店たちから成る地場経済は、ドンキやイオンなどの巨大資本を排斥するなどして大切に守られています。

この町には競争が無いんです。だから、成長もしないし、チャンスが無い。

商店街の一面がシャッターで閉ざされ、地元のケーブルテレビで「かつての栄えていたころ」が流れている様子が、それを物語っています。

 

地元で生まれ、地元の大学を卒業し、地元の子供たちに教える、負の再生産。

本家と分家に関するしょうもないお家問題。

「○○さん家の子どもさんは、広島大学へ行くらしい」「同級生だった○○は、今は市役所で働いているらしい」

そんな、親世代の会話から垣間見える、プライバシーなど存在せず、ゴシップと見栄だけの社交。

たった数十メートルの区画に広がる、古臭い虚飾のネオンがきらめく飲み屋街。

駅前の駐輪場にほど近い、高架下にあるあのテナントは、インドカレー屋がつぶれた後にラーメン屋が入って、また別のお店が始まるそうです。

 

緩慢で、怠惰で、封鎖的で、保守的で、伝統に固執して、ゆるやかに衰退していくこの町と心中する気には、とてもなれなかったんです。

この町でゆるやかに窒息していくのは、嫌だったんです。

 

都会にはチャンスがある。

僕は都会でこそ認められ、輝ける。

そう信じていたんです。

 

都会に出れば、「何者」かになれる。

そう信じていたんです。

 

先生と出会ったのも高校の頃でしたね。

大阪の大学を出て、貿易商社マンとして働いて、そして今はこの地元で英語を教えている、先生に。

先生はビートルズサブカルチャーをこよなく愛していて、バンドをやっていて、そして人間的にひねくれていた。そんな先生に、僕は少なくない共通項を見出して、よく相談をしていましたね。

先生が授業でよく話していた元カノの「リエちゃん」のお話、僕は大好きでした。

大好きだった彼女に、自らの過ちが故に別れを告げられて憔悴しきっていた高校生の僕に、元気をくれたんです。

 

結果として、東京の私学は叶いませんでしたが、大阪の公立大学へ進学しました。

一人暮らしを始めるために内見に回っている時は、ワクワクしましたよ。

そして、迷わず今の家に決めました。

理由は、「7階だから」。それだけです。

 

この町では、地元銀行の14階建ての本社ビルが、県一番の高層ビルとして町を見下ろしています。

たったの、14階建てです。

加えて、1階建てのボロ家で育った僕は、ずっと階段のある家に憧れていました。

だから、僕にとって「高さ」とは、文明と豊かさの象徴だったんです。

何軒か見た物件の中で、最後に訪れた今の部屋が一番高い所にありました。

築深ながらもフルリノベされているから外見は綺麗で、それでいて所々古さは感じるんですが、全く気になりませんでした。

「7階」というのは、僕にとっては十分すぎる理由なんです。

 

ベランダからはあべのハルカスがよく見えます。

日本一高い商業ビル。

なんだか僕の未来を暗示しているようで、胸が高鳴ったのを覚えています。

 

大学では、ボランティアサークルに入って「真面目」な活動をしながらも、コンビニの安い焼酎やワインをカラオケのドリンクバーのコーラで薄めて、「新宝島」に合わせて飲むような、そんなどこにでもある飲みサーにも入って、いわゆるな「大学生」をしました。

別に都会でなくてもいいような、そんな日々です。

それでも、梅田のオフィス街を歩く時、心斎橋のハイブランドが立ち並ぶストリートを歩く時、天王寺の巨大歩道橋を歩く時、僕は確かに「都会にいる」という実感を噛み締めていました。

本当に、しょうもない喜びです。

 

大学へ行けば、熱く夢を語り合い、政治や経済や社会課題などのマクロ的な事象について論じあえる友人ができると信じていました。

自分なりに最大限の努力をして入った大学なのですから、偉大なる大志を抱いて入った大学なのですから、当然そのようになると信じていました。

 

ですが、そんなことはありませんでした。

「一限切った」「ヤバい」「エグい」「癖がすごい」「~~なんよ」「代わりに出席しといて」「昨日の飲み会でアイツがアイツを持ち帰ったらしい」

誰が相手でも変わらないような、中身があるようでないような、そんな会話ばかりでした。

僕が思い描いていた「大学」とは、幻想だったのです。

 

それだけではなく、都会に出たことによって、地元にいては気付かなかった「差異」が、より色濃く鮮明になってしまったんです。

 

彼らは、遊び方を知っているんです。生き方を知っているんです。

 

高校の授業終わりには梅田や難波で遊んで、いろんなブランドを見たりして、休みの日にはUSJや美術館やお洒落な古着屋やカフェに行って、たまには電車に乗って京都や神戸に行ったりなんかして、スタバでは難しいカスタムを注文したりして、様々な文化的体験を積んでいるんです。

高校生のデートなんて、イオンに行って、駅に行って、後は家かカラオケでセックスをするしかないような地元とは大違いでした。

 

他にも、ネット上でしか名前を見たことのなかった日能研浜学園SAPIX鉄緑会に幼少から通ったりしているんです。

親が、誰もが知るような、CMで見るような会社に勤めているんです。

高校では、「落ちこぼれ」の子の救済枠として関関同立やMARCHの指定校推薦枠があるみたいです。

沢山の課題が与えられる勉強と、無駄に活動時間の長い部活の両立に勤しみ、それでも地元の国公立大学へ行けたら万々歳の地元とは大違いでした。

 

そんな格差を目の当たりにして、僕は憤慨しました。

何とか是正しなければならない、生まれた場所で人生の選択肢の数が変わるなんて許されて良いはずがない、と。

 

怠惰な学生生活を送りながらも、領事館で長期インターンをしたり、起業をしたりと、幾許かの挑戦を続けました。

僕は何者かに、田舎から皇帝になったナポレオンのように、なりたかったんです。

ですがそれらの挑戦は、「自分は優秀だ」と信じて疑わない僕に、現実を教えてくれました。

 

就職活動も早くから視野に入れていました。

「たぶん上手くいくだろう」という、根拠のない自信も持っていました。

大学3年生になり、僕は、就職活動で最難関と言われる企業たちを受けました。

当然、僕の大学から行った人は聞いたことがありません。

だけれども、それが僕を燃えさせたんです。

僕は何者かに、田舎から皇帝になったナポレオンのように、なりたかったんです。

 

現実は甘くありませんでした。

それなりに選考は進めました。それだけでもよく頑張った方でしょう。

それでも、ダメだったんです。

上には上がいたんです。

生まれたその瞬間から生じて、二度と埋まらない"差"を持った、彼らがいたんです。

 

親の仕事の影響で、中学校までをアメリカで過ごしたヤツ。

99×99の計算を、暗算で即答できるヤツ。

オーストラリアへ2年間留学していた慶応のヤツ。

東京大学で、その上に体育会の主将をしていたヤツ。

 

「あなたを採用する理由は?」

みんな、己の優秀さを、綺麗で優雅で逞しい経験を根拠に、熱弁していました。

 

「泥臭さです」

僕には、それしかありませんでした。

田舎の貧乏家庭に生まれ、いろんな逆境を乗り越えて、今の自分を創り上げてきた。

その自負があった。

いや、むしろ、それしかなかったんです。

 

熱い夢と、野望と、大志。そして醜く純粋なコンプレックス。

それを成し遂げたり、解消したりするために僕が持ち合わせている武器は、泥臭さというなんともダサくて、直情的で、定性的で、根性論なものだけだったんです。

 

英語も、算数も、OBもいない中での情報収集も、なんとか努力でカバーしたつもりでしたが、届きませんでした。

 

たぶん、僕はずっと渇いていたんです。

足りないモノ、自分が持っていないモノ、自分に与えられなかったモノばかり数えていたんです。

果ての無い欲求の砂漠。

満たされない。潤わない。

そんな感情が、僕を突き動かしていたんです。

 

今ある幸せに満足せず、今いる自分に満足せず。

常に上だけを見て、背伸びしきって、それでも届かないから必死にピョンピョン飛び跳ねている。

だから地に足がつかず、空回りする。

そしてガラ空きの足元には何も残っていないような。

それが僕なんです。

 

この町にいる時にはあれほど渇望していた競争に、僕は疲れていました。

この町を出てからの日々は、「戦いの日々」でした。

 

余暇を見つければ、すぐに帰省しました。

そこには癒しがあるから。

そこには肯定があるから。

そこには友情があるから。

そこには思い出があるから。

「逃避」とも言えたかもしれません。

 

母の中では、僕は食欲盛んな高校生で止まっていますから、沢山ごはんを作ってくれるんです。

質素で、素朴で、それでいて品数と量は多いごはんが並んだ食卓で、父が僕に話すんです。

 

「仕事の取引先の○○さんの子どもさんは○○大学へ行ってるらしい。だから、”ウチの子は大阪の国公立大学へ通ってるんです”と言ったら、”賢いんですね”と言われたんだ。」

 

田舎の親世代のコミュニティでは、こんな会話は日常茶飯事です。

子供というポケモンを使ったポケモンバトル。子供の功績を生贄にしたデュエル。

それでいいんです。

この町では僕の大学の知名度は高くないから、「大阪の国公立」と言われても、それでいいんです。それでも伝わらなければ、合格していた私立大学の名前を出しているみたいだけれども、それでいいんです。

閉塞したこの町で、緩やかに息を詰まらせていく彼らにとっては、それが重要なんです。

 

父に就活状況を聞かれました。

ゴールドマンサックスだとか、デロイトトーマツコンサルティングだとか、そんな名前を出してもピンと来ていないようでした。

カタカナが社名に連なる企業や、「ストラクチャードファイナンス」だかなんだかをやる仕事の内定よりも、地元には店舗の無いメガバンクの二次面接に進んでいることの方が、誇らしそうでした。

それでいいんです。

それで、いいんです。

 

 

先生。

僕は気付いてしまったんです。

たとえ僕が東京に住み、年収一千万を稼ぐビジネスマンになろうと、たとえ起業が成功して総資産何億の経営者になろうと、たとえ日本を動かすような政治家になろうと、この地元で同級生と結婚して、車を数分走らせたら両親がいるような環境で、休みの日には家族や友達とBBQをするような、そんな生活を送る”彼ら”には、人生の幸福度で勝てないということを。

競争の中に身を置く限り、幸せにはなれないということを。

 

先生。

先生はなぜ地元に帰ってきて、教師をしているんですか。

高校生の頃、この町の教育を変えたくて教師の道を考えていた時、僕は先生に相談しましたね。

先生は、「君に教師は勿体ない。変えたければ、君はもっと上でそれをやるべきだ」と言ってくれました。

ただひたすらに、嬉しかったんです。僕が「才能のある何か」と認めてもらえたようで嬉しかったんです。そしてそれを先生から言われたことが嬉しかったんです。

でも、なぜ先生は、なぜ先生ほどの人が、この町で英語を教えているんですか。

 

先生。

最近思うんです。

この町は、いいところです。

懸命に日々を生きる人達がいて、自然があって、競争が無くて、気を許せる友人がいて、大切な家族がいて。

緩やかな時間の中で、友人や家族に囲まれながら、生まれ育ったこの町のために働くのも悪くないなって、そう思うんです。

 

先生。

最近思うんです。

この町は、やっぱりどうしようもないところです。

しがらみばかりで、全てががんじがらめです。

教育水準も教育環境も劣っていれば、文化も娯楽も乏しい。

同級生のあの子は、女の子だからって大学進学に反対されて、それでも何とか県外の大学へ行っても、今度は「こっちで就職して、早く結婚しなさい」と言われているそうです。

こんな町に生まれ、選択肢を狭められ、あるいは最初から他の選択肢の存在を教えられず、「何者」にもなれずに終わっていく子供たちがいてはならないと、そう思うんです。

 

先生。

僕はもう21歳です。そろそろ22歳になります。

学生生活が、生まれてからずっと続いてきたモラトリアムが、そろそろ終わります。

夢を見ていたあの頃から時間は流れて、己の可能性を消費してきた。

「何者」かになるという心地よい生温さの夢に浸かっていられない年齢に、足るを知るべき年齢になってしまった。

そう思っていました。

 

でも、僕はまだ20代の始まりにいるんです。

先生、知っていますか。ナポレオンが皇帝になったのは35歳なんですよ。

それに僕はまだ、挑戦しきっていないんです。

本気で、本気で、本気で挑戦して、それでもダメだった時に諦めていいんです。

 

僕はもうじき、社会に出ます。

時計の針の動かないこの町から飛び出て、東京という欲望の砂漠に挑戦します。

上手く行かないことも、自分の力量の無さに喘ぐことも、あると思います。

それでも、挑戦を続けます。

その後になってやっと僕は諦めるんです。

そして、そうやって初めて、この町に帰ってきます。

 

この町に帰ってくるたびに、僕は僕と出会うんです。

逆境と停滞の中でもがいて、それでも己の可能性を信じて疑わない、高校生の僕に。

僕は、彼を救ってやりたいんです。

彼を救うことが、この町を救うことになると思うんです。

その手段は、市長なのかもしれませんし、知事なのかもしれませんし、議員なのかもしれませんし、小さな商店を営む店主かもしれませんし、英語を教える教師なのかもしれません。

 

足が速くなければ歌も下手で、絵も苦手で、勉強でも部活でも一番になれず、自分が「天才」ではないと気付いていても、「何者」かになるためにもがいている彼を、そして彼らを救うために、僕は生きるんです。

 

それが僕にとっての「何者」なんです。

 

先生。

今日はお話できてよかったです。

僕が本当の意味でこの町に帰って来た時、その時は一緒にお酒でも飲みましょう。

ぼやけたネオンがきらめく駅前の飲み屋街の、くたびれたのれんが架かった居酒屋で、お互いの「諦め」を語り合いましょう。

いつか訪れるその日のために、いつかこの町に帰ってくるために、僕はもう少し「都会」で挑戦を続けます。

終わりのない競争の中で、戦い続けます。

だから先生も、どうか御身体に気をつけてくださいね。

僕は僕なりに、もがいてみます。

 

 

 

2000年後の君へ

僕の言葉を受け取ってくれる、2000年後の君へ。

 

僕は、21世紀の名も無き誰かだ。何者でもない。

もし君の生きる時代に学校教育という概念が残っていたとして、君の持っている歴史の教科書を隅々まで読んでも、僕の名前はどこにもないだろう。

そうなりたくはないが、たぶんそうなる。

そんな古に生きた有象無象の一人の戯言を聴いてほしい。

もしかしたら、君の心を少しだけ熱くさせるかもしれないし、あるいはそうでないかもしれない。

僕には好きな本がある。

2000年後の文化が僕の知るものではないかもしれないから、まず「本」というものを説明しなければならない。

本とは、情報伝達のために、文字や絵を用いて紙などに記録したものだ。

創作でもいい、史実でもいい、身の丈の想いの吐露でもいい、誰かの言葉の集合体。それが本だ。

そこには誰かの人生が詰まっている。

誰かの思想が、願いが、想いが、夢が、後悔が、悲しみが、そこに詰まっている。

そんな本の中でも、古代ギリシア詩が好きだ。

君からすれば僕の生きる時代も「古代」なのだろうけど。

イーリアス」や「オデュッセウス」、「オイディプス王」、「オレステイア」などは君の時代にも残っているだろうか。

僕にとっては、紀元前の、約2000年前の文章だ。

からしたら4000年前にあたる。

もしそんな埃被った文章が残ってるのなら、ぜひ手に取ってみてほしい。

別に、君の嗜好に適う内容ではないかもしれない。

心躍る物語でも、美麗な文章でもないかもしれない。

君の生きる時代では、僕が生きる時代よりもずっと多くの娯楽に溢れているんだろう。
ひょっとしたら君は読書なんてしないかもしれない。

しかし、どうか一度、地味で古臭い「本」というものを手に取り、そのページを開いてみてほしい。

そのとき君は、何千年もの昔を生きた人達の言葉を受け取っているんだ。

君がこの文章を読んでいる今その瞬間、そこから2000年前、僕も同じように、彼らの本を手に取っていた。

ただ純粋に、心が震えたんだ。

「僕は今この瞬間、2000年前の人間の言葉を、メッセージを、受け取っている。」

これは凄いことだ。

時間と場所を超越して、過去の人間が僕に語りかけている。

世界の在り方も、概念も、社会通念も、信ずるモノも、治める者も、あらゆる全てが変容しても、そこに残された「言葉」だけは変わらずに僕を待っていてくれた。

そして、僕がそこに辿り着くまでに、言葉を紡ぎ、残し、伝え、受け継いできた多くの「名も無き誰か」がいる。

それは遥か太古から続く人間の営み。

どこからともなく始まり、終わりを知らず流れ往く壮大な歴史の大河。

その片鱗に、あるいは全容に、僕は触れている。

これが心震えずしていられるだろうか。

2000年後の君へ。

僕は、君の生きる時代より遥か昔に生きた、名も無き誰かだ。

僕が2000年前から受け取った感動を、君に伝えたい。

僕は後世に名を残すような何者でもない。

僕を知る人間も、あと百年もすればこの世からいなくなる。

僕が生きた証が史実に残ることはないだろう。

僕は歴史という大海原の藻屑となって消える。

 

しかし、僕は確かに、21世紀の今ここに生きている。

僕の感情や思想、願いは、疑いの余地なく存在している。

僕はそれを2000年後の名も知らぬ君へ届けるため、この文章を書いている。

それによって、僕の言葉は時空を超えて君のもとへ届く。

君の心が少しでも動き、僅かでも2000年後の世界が変わるのなら本望だ。

もちろんそうでなくても良い。

少なくとも、僕の言葉が誰かに届くことが大事なんだ。

数ある文章の中から、偶然にもこの文章と出会い読んでくれた君のお陰で、僕も壮大な歴史の一部になれた。

 

ホメロスから、ソフォクレスから、アイスキュロスから、あるいは名も無き誰かから2000年越しに受け取った感動を、2000年後の君に託そう。

僕はあともう少しだけ21世紀を生きることにする。

時間も場所も超えた場所で、君と出会えてよかった。

ありがとう。

それでは、さようなら。

誰かの記憶に残るということ

皆さんは、この世で最も重く、残酷な刑罰は何だと思いますか。

 

一生涯に渡って自由を奪われる終身刑でしょうか。

人知れず拘置所の一室でひっそりと命を奪われる死刑でしょうか。

死刑の中にも多くの種類があります。

江戸時代の鋸引き、中国の凌遅刑古代ギリシアのファラリスの雄牛。

人間とは恐ろしいもので、「ただ殺す」だけでなく、極限まで恐怖を与えて殺す方法をいくつも生み出してきた。

 

しかしながら、僕の思う最も恐ろしい刑罰は終身刑や死刑ではありません。

 

それは、「ダムナティオ・メモリアエ」という刑罰です。

 

 

ダムナティオ・メモリアエ。

古代ローマで行われた刑罰。

極刑を越えた極刑。

元老院の支配体制に反逆した人物に対して、その人間の記録の一切を破壊し抹消する刑罰。

コインに彫られた肖像は削り取られ、記録に記された名前は消去される。

その一切の存在が「無かった」として、自らが遺したあらゆる痕跡を抹消される。

社会的な体面や名誉を重んじた古代ローマの人間にとって、最も重い刑罰とされました。

 

ダムナティオ・メモリアエ。

日本語で、「記憶の破壊」。

 

現代に生きる僕ですら、その恐ろしさに慄きます。

僕は「歴史に名を残したい」だとか「人々の記憶に残りたい」だとか、そういった中二病的願望を持っているので、なおさら恐怖を感じます。

 

仮に100人もの人を殺めた殺人犯がいたとして、そして彼が死刑を受けたとしても、何かしらの形で彼の記憶と記録は残るでしょう。

それが「良い」残り方かどうかについては議論の余地も無いでしょうが、他人の命を奪おうと、そして国家に命を奪われようと、その人が生きた事実は確かに残るのです。

 

しかし、このダムナティオ・メモリアエー記憶の破壊ーを受けたなら、自分という存在がこの世界に「いなかった」ことになる。

生きた理由と死ぬ意味が、無になってしまう。

 

なんて恐ろしいんでしょうか。

 

 

「誰かの記憶に残る」ということは、僕たち人間が歩む”人生”という壮大な旅の目標地点なのです。

 

「なんのために生きているのか」という問いに対しては、多くの解答があるでしょう。

夢を叶えるため。

社会の役に立つため。

子を育てるため。

もっと大局的な視点で、例えば生物学的に言うならば、ヒトという「種の保存」のため。

 

これらも全て、「自分の記憶を残す(≒誰かの記憶に残る)」に集約できるかもしれません。

他者との相互関係の中で自分という存在が意味を持つこと、とも言い換えられます。

それほどまでに、僕たちにとっては、記憶を残し、自分という存在を確立することが大事なのです。

 

 

ところで、現代に生きる皆さんも、この「ダムナティオ・メモリアエ」の行為者になっている、あるいは対象者になっています。

皆さんは潜在的に、その恐ろしさを既に知っています。

 

最も卑近な例を挙げましょう。

 

恋人と別れた後を想像してください。

何が起こりますか、何を起こしますか。

カメラロールから、二人が笑顔で映る写真を消去するでしょう。

誕生日に貰ったプレゼントを捨てるでしょう。あるいはメルカリで売るような賢い人もいるかもしれません。

初めて二人で観に行った映画の半券、だんだん距離が縮まっていくプリクラ、お揃いのニット、部屋に残していった化粧品、吸っていたマルボロ、今の延長線上にあると信じて疑わなかった未来について書かれた手紙。

このような全ての「記憶」を葬り去るでしょう。

あるいは、葬り去られているでしょう。

 

今頃元恋人は、別の男に元カレの人数を聞かれ、「2人くらいかな」と心象良く答えるような、そんな会話をしているかもしれません。

僕は、「くらい」にまとめられたのか。

はたまた最初から彼女の人生に「居なかった」ことになっているのか。

 

「こんな気持ちになるのは貴方が初めて」

「こんなことをするのは貴方が初めて」

「今までで貴方が一番好き」

「私には貴方だけ」

 

自分に向けられた言葉は、今では別の誰かに向けられている。

かつては確かに自分を指していた「貴方」は、今では別の人間を意味する言葉になっている。

 

二人で共有した記憶。

二人だけで共有した記憶。

そこには二人しかいない記憶。

そして、そこにしかいない自分。

 

その一切が、”はじめから無かった”ことになる。

そこには記憶も無ければ、何も無い。

 

これほどまでに残酷で、無慈悲で、悲しく、虚ろな罰があるでしょうか。

 

 

まあ、とはいえ、これは自分でも相手でもない第三者へ語られる記憶の話です。

相手の記憶から消えることはないでしょう。

思い出されることは減っていくかもしれない。

別の誰かで上書きされるかもしれない。

それでも、その記憶が”消える”ということはないでしょう。

 

なぜなら、思い出は忘れるものではなく薄れていくものだからです。

 

花が枯れ、彩りと香りを失っていくように。

写真が日焼けし、色褪せていくように。

 

思い出の輪郭がぼやけても、声や匂いや温もりを失っても、二人が居た記憶は確かにそこに在るのです。

 

 

人間は忘却の生き物です。

ですが、記憶し、言葉を話し、文字を書き、絵を描き、伝達し、残すことができるのも人間だけです。

それ故に、人間として生きるということは、誰かの記憶に残るということだと僕は考えます。

そこに生きる意味があり、死ぬ意味がある。

 

古代ギリシアの詩人ホメロスが遺した詩に、『オデッセイ』という叙事詩があります。

「オデッセイ odyssey」は、「長期の放浪。長い冒険。」という意味を持ちます。

あてもなく彷徨う悠久の旅、オデッセイ。

 

僕たちは、人生という壮大な旅、オデッセイを続けている。

生まれた時から始まり、死ぬときに終わる、長い長い旅路。

それは、記憶を巡る旅。記憶を残す旅。

そして僕もあなたも、記憶の旅人です。

 

なにせ息をしたその瞬間からたった一人で放り出された旅です。

辛いことの方が多いでしょう。

どこを目指せば良いのか、目的地も教えられていない。

自分が何者なのかも自らで答えを見つけなければいけない。

自分の辿った道のりが正解なのか、不安になったりもする。

生涯その旅路を共にすると約束した相手が突然離れていったりする。

しかし、そんな苦難を重ね、時には笑い、泣き、誰かを愛し、誰かに愛され、誰かを傷つけ、誰かに傷つけられ、そうやって歩んできた道のり、それがあなたの「記憶」であり、それ自体がこの旅の目的なのです。

 

僕も、あなたも、記憶の旅人です。

旅の途中のどこかで偶然出会うことがあれば、その時は語り合いましょう。

お互いの記憶を。

そうして、自らの記憶を残しましょう。誰かの記憶を残しましょう。

自らが生きた意味を残せるように。

ですからどうかその時には、よろしくお願いします。

それまで、お互いそれぞれの旅を続けましょう。

 

 

 

 

 

恋愛資本主義の残酷な社会で

僕たちの生きるこの21世紀は、資本主義の下に成り立っています。

自由競争によって発展した社会の中で、僕たちは生きています。

 

生を受け、学校に通い、友人を作り、大人になっていく。

その過程で僕たちは恋をして、愛し愛されることも経験します。

 

この恋愛というものは、僕たちの人生にとって、幸福にとって、不可分なものです。

 

今日の社会では、(おそらく大半の人が)自由に人を好きになり、交際し、結婚することができます。

恋愛は自由なのです。

資本主義と同じく、自由競争のいわば「戦い」なのです。

戦いだからこそ、傷つき、悲しみ、喪失することもあります。

恋愛は残酷な一面も有しています。

 

非モテ、セフレ、パパ活港区女子

奪い合い、傷つけあう自由恋愛が生み出した言葉たち。

 

僕は、「恋愛は資本主義と類似するものである」という仮説を立てました。

二者間の関連性を考察することで、この残酷な恋愛資本主義の社会を生き抜く術を考えていきます。

 

本来であれば、恋愛を語る上でLGBTQなどの性的マイノリティの方々の存在を無視してはいけません。ですが、僕はそのような方々への知識が至らず、そうであれば語るべきではないため、ここでは「ストレート」の方々を想定しています。

 

はじめに、人間の歴史は政治体制の歴史であり、政治体制は経済体制の在り方でもあります。

日本をはじめとした多くの諸国家の経済システムとして、資本主義が採用されています。

当然、社会主義共産主義など他の考え方もあり、異なる主義を掲げる国家同士の対立は今なお続いていることは留意しなければなりません。

 

しかしながら、少なくとも、産業革命を起点に欧米で確立され、明治維新期の日本にも持ち込まれた資本主義は、今日の経済発展をもたらしました。

 

資本主義の基本原理は「自由競争」です。

「利益を得る」という目標を正当化し、市場における生産者と需要者の間の経済活動を自由としたことで、経済と産業は成長してきたのです。

 

この資本主義がもたらしたのは、成長だけではありません。

「格差」をももたらししました。

自由競争の下では、富める者はより財を成し、貧しいものはより一層貧しくなっていきます。

 

恋愛はどうでしょう。

かつては結婚とは「家と家」、もっと遡れば「ムラとムラ」、さらには「国家と国家」の話でした。

身分や出自、家庭によって、多くの制約がありました。

お見合い結婚なんてのも、その一部分でしょう。

恋愛に個人の自由意志など介在する余地はありませんでした。

 

時代は流れ、現代では、誰もが自由に相手を選び、自由に交際することが出来ます。

 

つまり、恋愛感情や個人が「資本」となり、その自由化・流動化が進んだと言えるでしょう。

 

最近では、tinderやタップル等のマッチングアプリの隆盛も凄まじいものがあります。

これも「資本」の流動化の極致でしょう。

 

思えばマッチングアプリとは不思議なものです。

本名かどうかも分からない、語られた経歴が真実かも分からないような、その日あったばかりの人間と食事へ行き、相手が誰だろうと変わらないような会話をして、相手が誰でも良いようなセックスをする。

セックスなんて言ってしまえばただの「粘膜の接触」ですが、その行為に与えられる意味が変質してきています。

 

それではここで少し、なぜマッチングアプリが流行し、身体を重ねる行為の神聖性が薄れてきたかについて、「恋愛資本主義」の観点から考察してみます。

 

まず、ここでの分析対象を「tinder等を用いて、セックスに没頭する人たち」と定義します。

 

そんな彼ら彼女らの行動の動機には、二つが考えられるでしょう。

 

①「性欲を満たす」という身体的なもの

②「承認欲求を満たす」という精神的なもの

 

特に②です。

上述したような従来の恋愛の在り方では、恋愛や結婚、ひいては人生それ自体は家族やムラで共有するものであり、一種の全体主義の下にありました。

そのような中で、ムラや家族の解体が進み、個々人間の精神的なつながりが薄れていくと、どうでしょう。

 

個々人の分断と、それに伴う孤独が生まれます。

 

また、「嫁入りするまで純潔を保たなければならない」なんて考えも消滅していくでしょう。別に「嫁に行くこと」は「相手の家庭へ娘を捧げること」ではなくなりますから。

 

つまりは、性行為に対する抵抗感は薄れる一方で、そこから得られる「承認されているという感覚」の必要性は高まりました。

 

その結果、人間が従来より持っていた生物としての「性欲」という要因に、「承認欲求」という精神的欲求が加わり、それらへの解決策としてtinderが爆流行りした、と考えられます。

 

 

さて、「資本」の流動化が進展した結果、恋愛資本主義社会はどうなったでしょうか。

 

資本主義社会では、持てる者と持たざる者の格差が顕在化しました。

恋愛資本主義でも同様に、モテる者とモテない者の格差が拡大しました。

 

自由化は競争を生み出します。

選ばれるものと選ばれないものが生まれます。

残酷なまでにリアルな競争が始まりました。

 

さて、ここでの「モテる者」をどう定義するか。

自分に恋愛感情を抱く異性の数が多い者、付き合った恋人の数が多い者、経験人数が多い者。まあどれを用いたとしても、ここでは文脈上の相違は無さそうので、単純に「モテる者」としましょう。

 

自由競争が可能となった恋愛市場。

家庭などが恋愛の相手を用意することもなくなります。

 

そうなると、単純に容姿、家柄、所得、学歴などの要素の及ぼす影響が強くなります。

これらは生来のもの、つまり自分の力ではどうしようのないものであることが多いです。

ある意味、生まれながらの「差」は一生覆せないという点においても、資本主義と共通しています。

 

しかし、僕の考える格差の本質はここにはありません。

資本主義と同じく「持てる者がより持てる」という構造にあります。

 

資本主義でも恋愛でも、10を100にするより、0を1にする方が遥かに難しいのです。

 

たとえば、0円から100万円を創るには多大な努力が必要です。

時給千円でバイトをしましょうか、不用品をメルカリで売りましょうか。

時間を売るか、労働力を売るかしなければなりません。

一方で、100万円を1千万円にするのは比較的容易です。

投資でも良い、事業を始めるでも良い。

元手があればあるほど、資産は膨らんでいきます。

 

恋愛でも同じことが言えます。

 

僕は「モテる人」の条件として、「余裕感」が挙げられると考えています。

 

では、男性で想定しましょうか。

女性経験が増えれば増えるほど、女性とのコミュニケーションの仕方やデートでの振る舞い方が分かってきます。

また、必死感も無くなるでしょう。

「別にこの子と上手く行かなくても、まあ別の子がいるし」という考え方ができます。

別にたかが一人に嫌われてもいいわけです。

これらが総合した結果、「余裕感」が醸し出され、いわゆる「女慣れしている」状態になり一層モテていきます。

 

一方で、モテない童貞男性はどうでしょうか。

 

まず、女性とのLINEの仕方が分からない。

会話が途切れないように、盛り上がってる感が出るように、無駄に語尾に「笑笑」をつけたり。返事が遅いと不安になって追いラインをしたり。

 

女性と食事に行くのであれば、お店の選び方が分からない。

そもそも店のレパートリーが無い。

サイゼリヤで喜ぶ彼女」がTwitterで炎上したのも記憶に新しいですね。

まあそこまでは無いにしろ、例えば個室なのかそうではないのか、座り方が向かいになるのか横並びになるのか、照明は明るめなのか暗めなのか、駅からどれくらい歩くのか。

 

食事を終えた後に待ち受ける、「この後どうする?」なんてラスボス戦のようなものです。

そもそも女性経験が豊富であれば、何となく心を許してくれているのか否かが分かりそうなものですが、彼らはそうではありません。

いざ誘うにしても「ホテルに行こう」なのか、「ちょっとゆっくりできる所で飲みなおそう」なのか、「俺んち猫いるんだけどさ」なのか、はたまた何も言わずホテルの前まで行くのか。

頭の中で何度も何度もイメトレをして、それでも言えないのです。

女の子に「うわ、キッショ」って思われるのが怖い。

だって彼らにはその人しかいませんから。たった一人を失うわけにはいかないのです。

 

仮に上手く”そういう雰囲気”までいけたとしましょう。

今度はそこからの「持っていき方」という壁にもぶち当たります。

ここでダラダラとグダったり、もしくはキショい誘い方をしてしまう。

だって経験が無いのですから。

そうして何もせず、「良い人」で終わってしまう。

 

「誠実な人が良い」なんて言いますが、それとモテないことは別です。

勇気が出なくて誘えない人は「誠実な人」ではありません。

女性を前にしてキショいムーブを繰り返す人は「誠実な人」ではありません。

 

 

このようにして、モテる者ほどよりモテていき、モテないものはよりモテなくなっていく。

「モテる」というのは商品として需要が高い状態であり、一種の希少性です。

市場において、需要が高いものほど価格が上がり、より需要が高まることは皆さんのご存じの通りです。

 

資本主義では私有財産は禁止されていません。なので富の独占が起こり得ます。

恋愛でも同様です。

結婚してしまえば不倫は法的に縛られますが、恋愛一般においてはその限りではありません。

浮気をしようが、人の男/女を奪おうが、付き合わずに「都合のいい相手」としてキープしようが、付き合う前にセックスしようが自由です。

何人もの異性と関係を持とうが自由なのです。

当然、倫理的に非難されることもあるでしょうが、これといって何かしらの罰則を与えられるわけでもありません。

 

また、資本主義の問題点は搾取が起きやすいい点にもあります。

 

「賃金を得たい労働者」と「利益を追求したい使用者(=企業)」がいたとして、優位な立場にある使用者が一方的な条件の下で労働者を働かせる、つまり搾取が発生します。会社は求職者を非正規雇用として働かせ、気分次第ですぐ切れます。

 

ここでセフレというものを考えてみましょう。

そこには「愛情を得たい女の子」と「性的快感を得たいだけの男の子」がいたとします。往々にして前者は後者に恋愛感情を抱いています。

 

男の子は優位な立場を利用して、深夜に呼び出しちゃいます。

「今からウチこれる?」

女の子はお風呂上りにも関わらず、健気にもメイクをして出かけます。

部屋では適当にネットフリックスでも見た後、怠惰で、退廃的で、無味乾燥したセックスをします。

女の子は冷たいシーツに身をくるみ、ベッドで自分に背を向けスマホを構う男の子に聴きます。

「彼女とか作らないの?」

「う~ん、今はそういうのいいかな」

「そうだよね」

分かりきっていた答えです。

それでも、これまで何十回も飲み込んできた言葉が、ついにこぼれてしまいました。

「私たちってさ、どういう関係なの?」

男の子は素直に「ダルいな」と思いました。

当初は駅まで送っていたけれど、今では玄関先でのバイバイです。

男の子は女の子を切りました。

 

これが搾取でなくして、一体何なのでしょう。

 

ところで、「恋愛感情」や「性的対象としての身体」の資本化の進展は、パパ活の流行も説明できるかもしれません。

当然、肉体関係を伴うパパ活の蔓延には、経済や福祉、教育など様々な要因が絡むので、一概にその理由を説明できるものではないでしょう。

ですが、ここでは一つの試みとして、恋愛資本主義という観点からの考察をしてみます。

 

上述した通り、その人にとっての「社会」は、家庭やムラなどよりもっと大きなものになりました。それに伴って、集団で共有されていた処女性が神格化されることも無くなってきました。

 

個人の恋愛感情や身体は、あくまで「個人が自由にできるモノ」として、資本化されていきます。

 

つまり、女性にとっては自分自身を「資本」とすることができます。

一方で、これも上述した通り、格差の顕在化は「モテない男性」を色濃くしました。

ここでお互いのニーズが一致します。

 

近年、より議論されるようになった「女性の権利」。

女性は家庭や古い社会規範の束縛を逃れ、独立した意思決定という自由を獲得します。

 

これまでは社会通念上でも構造上でも難しかった「自己の資本化」が個人単位で容易になりました。

だからこそ、「自分自身」を武器にお金を稼ぐことのハードルが下がったのでしょう。

 

しかし、ここで注意しなければならないのは、「パパ活は自己決定に基づいている」と一まとめに切り捨ててしまうと、偏った自己責任論に落ち着き、女性の性的搾取問題に対して一種の思考停止状態に陥ってしまうことです。

あくまで、一つの観点から見た「現象」に対しての考察であり、その中にある「個々人の人格と背景」は無視してはなりません。

 

 

資本主義との共通点は他にもないでしょうか。

日本の資本主義では生産と競争の自由化を進めた結果、低成長に陥ってしまいました。

恋愛ではどうでしょう。

先進国では恋愛の自由化が進展した結果、低出生率という課題にブチ当たっています。

当然これにも、経済や福祉のような政策的アプローチの影響が大きいのでしょうが。

 

 

さて、これまで書いてきたように、恋愛の自由化は競争を生み出しました。

それによって、奪い合いや格差の拡大は勢いを増し、皆が消耗していくようになりました。

 

僕自身、足が速くなかったため小学生時代は”ゴミ”のような扱いを受けました。

容姿も良くなかったため、学生時代は当然モテることは無かった。

学歴という面でも、「男は神戸大以上じゃないとね」なんて言われたこともあります。

彼女を寝取られたこともありました。

当然、逆もあります。好きでいてくれた相手を傷つけたことだってあります。

なんと愚かだったんでしょう。

傷つき、傷つけ。

 

 

僕たちは競争の中に生きている。

 

仮に資本主義というシステムの中で生きるのなら、そこでの成功は「たくさんお金を稼ぐこと」になります。

そのためには、受験、就活、社内政治と、駒を進める毎にふるい落とされ、残った上澄みとの競争を勝ち抜いていく必要があります。

 

しかし、そこには終わりが無い。

 

果たして、それが幸せなのでしょうか。

 

仮に恋愛資本主義というシステムの中で生きるのなら、そこでの成功は「たくさん異性からの恋愛感情を得ること/経験人数を増やすこと」になります。

そのためには、多くの人を傷つけ、多く傷つく必要があります。

 

少なくとも、頑張って「最初の1」を稼ぎ、あとは異性慣れするなりtinderをするなりして経験を積めば、記号としての「人数」は増えるでしょう。

 

しかし、そこには中身が無い。

 

果たして、それが幸せなのでしょうか。

 

僕が思うに、この競争社会で幸せになる方法は、競争から降りることです。

口座に並ぶゼロ。身体を重ねた相手の人数。

それは誰かから奪ったゼロ。それは誰かを傷つけた数。

そんな記号ではない、定量的ではないモノに価値を見出すのも、一つの幸せのなり方ではないでしょうか。

 

 

僕たちは競争の中に生きている。

 

ただ一人の好きな人に振り向いてもらえなくて苦しむこともあるでしょう。

 

恋人の心を惹き付け続けるのに苦労することもあるでしょう。

 

このような”競争”に乗っかって、”競争”に勝つには、”競争”を攻略するしかない。

 

”競争”の中に身を置くならば、傷つける覚悟を、傷つく覚悟を持つしかない。

 

 

僕たちは競争の中に生きている。

 

少なくとも、この恋愛資本主義では自由な恋愛が出来る。

 

自由だからこそ、残酷で、美しい。

 

そんな戦いの21世紀を、共に頑張って生きていきましょう。

 

 

 

 

ゲシュタルト的人生論

ゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト‐ほうかい〔‐ホウクワイ

《「ゲシュタルト」は形態・姿の意》全体性が失われ、各部分に切り離された状態で認識されるようになる現象。

 

"ゲシュタルト崩壊"とは、同じ文字をずっと見続けていると「あれ?この文字ってこんな形だったっけ?」ってなる"アレ"のことである。

 

ゲシュタルト」とはドイツ語にその語源を持ち、心理学の厳密な定義では「体制化された構造」のことである。

端的に言えば、「全体的な枠組み」だ。

 

ゲシュタルト心理学では、人間の知覚は個別的な要素ではなく、その「全体的な枠組み」に大きく規定されると考えられている。

 

しかしながら、"それ"を持続的に注視し続けると全体的な形態についての認知が低下してしまい、最終的にはその正確な形が分からなくなり、部分についてしか認識できなくなる。

 

 

なるほど、「ゲシュタルト」という言葉についてゲシュタルト崩壊しそうになってきた。

 

ただ、この現象は殊に文字に限ったことではない。

 

例えば、恋愛。

 

付き合いたての頃は「楽しい」「嬉しい」「幸せ」という感情が僕達の心を占める。

 

2人で手を繋いで歩いた下校路。

オチの微妙だった映画。

「家に着いたら連絡してね」のLINE。

彼が時間をかけて選んでくれたであろうアクセサリー。

彼女が振る舞ってくれた手料理。

弱いお酒で赤らめている頬。

窓越しに見るタバコを吸う彼の姿。

 

その全てが愛おしく、「幸せ」という「全体」を構成する。

些細な言葉や行動などの「小さな違和感」という「一部分」には気付かない、或いは見て見ぬフリをしたまま。

 

しかし、そんな毎日に浸っていると、その「違和感」が次第に大きくなって来る。

 

なんでいつも遅刻して来るんだろう。

 

なんで元カノとまだLINEしてるんだろう。

 

なんで「あの時奢ったのにどうこう」って話を後からしてくるんだろう。割り勘でも良いのにカッコつけて払ったのは貴方なのに。

 

なんでせっかくのお出かけデートなのに、私が準備してる間も寝てて、「もう準備出来たよ」って言ったら適当に準備済ませて出るんだろう。

 

そして気が付けば、どんな些細な事でも不満に感じて来る。

あたかも「一部分の不満/不安」が胸の内を占領しているかのように、それにしか目が行かなくなる。

「全体的な幸せ」が、崩壊を始める。

 

そして、ある時ふと思うのである。

「あれ?この人ってこんな人だったっけ?」

 

 

また、普段の生活にも言えるだろう。

高い志を持って臨み始めた受験勉強や、確かな希望を抱いて始まった大学生活。

 

僅かな、そして刹那的な変化や刺激、快楽はあれど、大まかには変わらない毎日。

その繰り返し。

 

朝起きて、学校に行き、友達と戯れ、そして寝る。

昨日も、今日も、明日も。

 

そしてある時不安になる。

「俺、このままで良いのかな。」

 

その不安は「全体」たる日常を蝕み始め、日常の先にある「将来」の輪郭がボヤけ出してくる。

 

 

ヤバい、書いてて鬱になりそうだ。

「バッドに入る」の"アレ"だ。

危ない危ない。

 

これもまた「文章を書く」という作業のゲシュタルト崩壊かもしれない。

 

僕は心理学の専門家でもなければ、恋愛のプロでもないし、メンタルヘルスケアケースワーカーでもないから、特別な事など何も言えない。

 

でも、少なくとも毎日毎日「新しい一日」を過ごそうとしている。

 

本や映画、アニメ、マンガといった「自分ではない誰か」になる経験。

絵画や音楽などの「創造的活動の産物」に触れる経験。

普段話さない人や毛嫌いしてたあの人と話してみる。

なんなら、髪型を変えてみるとかでも良い。

 

日常に非日常を。

構造化された「全体」を壊しに行く。

 

日常という「ゲシュタルト」を、崩壊させていこう。

クズ男くん。都合の良い女ちゃん。

僕ももう20歳になった。

 

10代を駆け抜けた。

 

何が変わったのか。

何が変わらないままなのか。

 

過去を振り切るように街を歩けば、「ドルチェ&ガッバーナの香水のせいにする曲」が耳に入る。

 

記憶にすがるようにベッドに入り、スマホを開けば、「別の人の彼女になった曲」が部屋に流れる。

 

世の中は、退廃的な言葉を求めている。

 

「缶ビール」「タバコ」「セフレ」

 

そういった言葉が「エモい」の一言に帰着し、一定数の若人の胸を打つ。

 

「クズ」が求められている。

 

 

僕が思うに、世の若者は皆、男も女も問わず、クズになれば良い。

 

遊び散らかせば良い。

 

愛情の無いキスを重ねれば良い。

 

「ワンチャン」を狙ってご飯に誘えば良いし、

 

「好き」とは一度も言ってもらえてないけど、いつかは自分の物になると信じて、深夜の呼び出しに応じれば良い。

 

付き合う前にセックスしてしまえば良いし、

 

都合の良い存在になるだけと分かっていて、そんな自分に酔えば良い。

 

女の子が悩んでそうだったら、「どしたん?話聞こか?」ってLINE送れば良いし、

 

彼女持ちの男がちょっとでも不満を漏らそうものなら、「彼女さん、ちょっと重いね(笑)」って言えば良い。

 

寂しいから浮気すれば良い。

 

恋人からの連絡を無視して別の人間と寝れば良い。

 

元恋人と連絡を取り続ければ良い。

 

皆んなクズになれば良い。

 

 

そんな経験が早ければ早いほど良い。

 

大学生になってから酒と異性を覚えてイキらないようになれば良い。

 

クズな自分に酔わないようになれば良い。

 

深夜にストーリーが荒れないようになれば良い。

 

刹那的な快楽に身を委ねないようになれば良い。

 

純粋な頃の想いこそ尊いと気が付けば良い。

 

「あの頃」の恋人とは、もう話すことが出来ない事に胸を痛めれば良い。

 

「エモい」と「空虚」は違うという事を気が付けば良い。

 

虚しいだけだと気が付けば良い。

 

今の自分は「空っぽ」だと気が付けば良い。

 

 

そんな経験を重ねて、大人になれば良い。